旧暦、水無月二十六日。かろうじて、免れた真夏日。夕方から雷雨にな

yatsugatake2005-07-31

古池に、蛙は飛びこんだか?昨朝の読売新聞に、面白い記事がありました。
ご存知松尾芭蕉のあの有名な句についてです。蛙は古池に飛びこんでいなかった。そうとも考えられる事態が生じてきた。
俳人長谷川櫂氏の新しい評論『古池に蛙は飛びこんだか』が静かな波紋を広げている。と、言うのです。
こんな単純明快な内容の句を、あれほどの芭蕉が詠んだのだろうか?子どもでも、疑問を感じた覚えがあります。この見方に対して、著者は、「あまりの単純さゆえにむしろ深い意味が広がっている」と、問いかけているのです。そして、「古池に蛙は飛びこまなかった」と、結論するに至っているのです。つまり、句は「蛙が水に飛びこむ音をきいて、心の中に古池の幻が浮かんだ」という意であるとのことです。その論拠を示しつつ、一つ一つ謎を解いていく過程はまさにミステリーの面白さだ。(以下略)いろいろ、考えをめぐらせるところに句の価値があるのかも知れません…??
昨日、実際に動物の姿に出会ったものを書きます。
キジバト(ヤマバト)の番(つがい)が、庭をお散歩していました。人を恐れないというのか?鈍感というのか?このような光景に時々出くわします。写真に収めることができました。「鳩が豆鉄砲を食ったよう」の、表現どおりでした。あの目で、こちらは何を見られたのかな?
田んぼでのこと、畦を歩いていくと、蛙が水に飛び込みます。最近は蛙が小型になりました。昔は、トノサマガエルなんて、まさに殿様でした。続いて何かが?ドキッ、蛇が飛び込んでくねくねと泳ぎ去りました。あれは見覚えのある、ヤマカガシ(方言で、ヤマッカジ)に違いありません。くすんだ緑褐色と朱色の紋が決め手です。久しぶりのご対面でした。子どもの頃には無毒とされていて、石垣に入り込んだ蛇を引っ張り出してかまったものです。コブラのように鎌首を上げ、平たくなって立ち向かってきた姿を鮮明に記憶しています。
今では、有毒蛇に昇格?したヤマカガシに対して、残念ながらそんなことをする勇気はありません。
コオイムシ(子負虫)が、背中に卵を背負って泳いでいました。雌に産みつけられて、子育て中の雄なのです。でもこんな子育てなら、楽なことです。もうこの地には絶滅?と思っていただけに感動しました。
ツバメも、飛んでいました。子どもの頃、居間の天井に巣をかけられ、ツバメと一緒に暮らして、よくよく観察をしました。この頃、聞いた話では、ツバメが身近にいなくなった理由は、巣材の泥が無いからだとか?事実だとすれば、お気の毒としかいいようがありません。
今日は、12時の29.6度が最高気温。午後は曇って、夕方から雷雨になりました。かろうじて、真夏日を免れ凌ぎやすい一日でした。
午前中は、佐久市立中央図書館と、佐久市立近代美術館を訪れて、文化的な時間に費やしました。午後は、家周りの除草と、そしてお墓掃除を済ませました。
「二十六夜待ち」、このお天気では無理です。あきらめました。