「湯川の水面」に映る、「白銀の浅間」…。

今朝はバッチリ、「白銀の浅間山」

冬型の気圧配置で、内陸の佐久地方は冬晴れに…。
アメダス、最低気温は氷点下2.8度(7:18)、冬らしくなってきました。
今朝は、「白銀の浅間山がバッチリ目の前に…。
よく見ようと隣の空き地に出て、写真を撮りました。
何と、フリースズボンには「引っ付き虫」のお土産が…。

先日、UEVC(上の城環境ヴォランティアクラブ)の会で、仲間から得た情報があります。
浅間山が、湯川の水面に映る場所がある…」
堰堤で、流れが緩やかになった水面がある、教えられた場所に出かけました。
軽トラを堤防道路に駐めて土手に立つと、確かに「白銀の逆さ浅間」が映っていました。

やや漣(さざなみ)が、それに枯れ草が邪魔をしています。
情報を知らせてくれた仲間に報告すると、枯れ草は春に焼却されるとのこと…。
条件の良い時にまた、撮影を試みたいです。
農道に出て、「白銀の浅間山」その勇姿を撮りました。

郷土の川・「湯川(ゆかわ)」について、手元にある資料『岩崎長思先生遺稿 岩村田の今昔』の記述を引用・紹介します。
 岩村田の史前地形の続篇として湯川と岩村田との関係に言及しなければならない。佐久では山は浅間、河は千曲を山河の代表とし、ならべ称して詩歌にも文章にも佐久の精華としているが、これは佐久の伝統でもあって、岩村田においては千曲より湯川が親密な関係をもっている。稲荷神社、水利、漁利、水防、採砂などはそれである。だが岩村田人の心を養っている湯川の水や風光について作家作曲画作が少なく、しかも岩村田は湯川によって生まれ且育って来たもの。いいかえれば湯川なければ岩村田なしという因縁を知らず、湯川の恩恵利潤に関する認識の乏しいものをみるのは遺憾である。まして湯川の科学的研究に至っては信大井出嘉雄氏(住吉町)の湯川の水の調査以外に聞くところがない。湯川古来の水利事歴、その地形質土砂魚族等の研究は興味あるテーマでもあり又必要の問題でもある。岩村田人は一層湯川を見つめてみなくてはならない。(以下略)
 氏の指摘は、現在においては更に無関心の極み、小生も残念に思っているところです。
 我が家の田んぼに水を供給する「四ヶ用水」、上の城区を流れる「常木用水」、どちらも、湯川から取水しているのです。
 主食・お米は、湯川の賜物であることを思えば、湯川に無関心ではいられないはず…。
 今こそ、観光・散策や、体力・健康づくり面での活用を研究したらどうだろうか…。
よく晴れた夕方、霜月七日のお月さまが、中空にかかりました。
「双子座流星群」、褞袍(どてら)を着込んで空を見上げ、流星に願い事を…。
アメダス、最高気温は6.2度(14:10)、明日も、雪だるまマークが一つ…。