「佐久の季節便り」、「雨水」の雨が上がり、「スーパームーン」が空高く…。

今日から、二十四節気・「雨水(うすい)」の季節に…。

暦通り、どんより雨雲が覆って、午後には雨降りの予報が…。

アメダス、氷点下2.4度(01:16)と、冷え込みも緩みました。

 

昨夕、信毎・夕刊のコラム「あすの天気」を引用紹介します。

 あすの満月は、1年で最も地球に近づいて大きく見える「スーパームーン」。ただ、県内各地はあすの午後から雨の予報で観望は難しい見通しだ。一方、今夜は晴れて冷え込みも強くなりそう。日本気象協会長野支店(長野市)の杉本麻衣子気象予報士は「真ん丸ではありませんが、お月見は今夜のうちに」。

ラジオの気象予報士も同様な話があり、勧められるままに、昨夜10時をまわった頃、天頂にかかる十四日のお月さまを観望し拝み、写真に収めました。(22:25)

 

さて、今日は月一回の診察日、待ち時間用に、文庫本『浅田次郎と歩く 中山道』副題『一路』の舞台をたずねて 持参しました。

〈対談〉浅田次郎渡邊あゆみ 参勤行列という人間ドラマ 作家が明かす創作秘話

信州佐久郡岩村田のお殿様、内藤志摩守(ないとうしまのかみ)、通称「ひいちろう」を蒔坂左京大夫が訪ねる場面。

ここは、何度読んでも楽しくなるくだりです。対談の一部を引用します。

 内藤志摩守正誠(まさあきら)は十七歳という若さでありながら幕府の奏者番(大名や旗本が将軍に謁見する際のとりつぎなどをする要職)を務めています。というのも、この御殿様もわずか十歳にして父親を、前年には祖父を亡くし、若くして家督を継いだから不相応な大役を担っている。そのうえ、御家代々の念願かなって先ごろ御領地に築城を許されたばかり。まるで天下でもとったように鼻が高くなっているんですね。そんな折、岩村田を通りかかった蒔坂左京大夫が志摩守に会いたいと言い出した。というのも、幼い志摩守の面倒を見た経緯があったからです。

…だというのに、当の志摩守は手のつけられない天狗になっている。左京大夫を玄関に迎えに出るどころか、左京大夫を迎えるための座布団を廊下に放り出すありさまです。

さて、左京大夫はどうやって対応するのか。刃傷沙汰になるのではないかとハラハラしていたら、廊下の先から「ひーちゃんやーい」と頓狂な声でコーリング。この緊迫した場面で「ひーちゃんやーい」はないだろうと(笑)私、大爆笑しました。

(中略)

 一路たちが参勤交代を行ったという設定にしたこの時代、岩村田の御殿様は実際に築城中でした。場所は長野県佐久市にあたり、僕はこの地を何度も訪ねています。城跡らしきものがある以外、当時をしのぶよすがはないのですが、歩いているうちに突然この御殿様のキャラクターが立ち上がりました。

 そこに、世間でうつけと言われている蒔坂左京大夫の「ひーちゃんやーい」という頓狂な声が自分の中に反響した気がして。よし、これでいこうと思いました。(笑)(以下略)

 

佐久市立図書館で用意していただいた、本・資料の閲覧に出かけました。

雑誌『信濃』、『佐久地方の地名』、ネット「九州大学」の論文で、佐久地域に残る字名の由来などを調べました。

現住所の字名・「旦過(たんが)」、住所近くの字名・「天神堂」、「羽毛平」、「岩井堂」…などなどです。

 

岩村田の殿さまが築城した「上の城」、その城址・招魂社裏の高木が、昨日までに伐採・整枝されました。

おかげで、招魂社裏からの眺望が一段と良くなりました。

東側にも開け、「平尾山」・山の端からの「月の出」が観望できます。

今夕、「正月十五夜」の月の出が期待されました。

しかし、月の出時刻の17:02(長野)の頃には、残念、雨降りで暗雲に隠されてしまいました。

明日の夕方、月の出時刻18:16(長野)、乞う、ご期待!!です。

 

それでも今夜8時過ぎ、外に出ると雨は上がり、速い雲行きの間に、お月さまが顔を出しました。(20:16)

今夜の月(望=満月)は、日付が替わった0:54です。

就寝前にもう一度、お月さまを見上げましょう。

 

アメダス、最高気温は7.1度(11:34)、雨量は、14時、17時、18時の各1ミリ、トータル3ミリでした。