「佐久の季節便り」、今日、「霜月十六日」の月が「望(ぼう)」・満月です。

冷え込みが、やや緩みました。

スッキリ晴れて、朝から強い風が吹いています。

アメダス、最低気温は氷点下1.9度(2:43)、午後あたりから気温が下がる予報です。

旧暦、十一月十六日、満月(望14:12)が本日付け、そこで、まず早朝のお月さまを観望しました。

西空低く、兎さんが逆立ちしている、真ん丸お月さまです。(5:04)

このお月さまは、昨日の15:57(長野)に出て、満月(望)の約9時間前のお月さまです。

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月の入り時刻は、6:27(長野)ということで、まもなく西空に沈んでしまいました。

日中は、風があるものの、しのぎやすいお天気でした。

最大風速は、南西の風5.4メートル(11:20)、お天気が変わる兆しです。

 

望(ぼう)の時刻14:12、お月さまは、まだ空に出ていません。

今夜の月の出時刻は、16:40(長野)、しばらく待って、東の空の昇りました。

平尾山の空には雲が棚引き、その上に現れました。(17:30)

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望(ぼう)の時刻14:12、3時間後の真ん丸お月さまです。(17:32)

早朝のお月さまと違って、夜のお月さまは、兎さんは立ってお餅を搗いていますね。

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このお月さまの月の入り時刻は明日の朝7;30(長野)、今夜一晩中、空で照っています。

アメダス、最高気温は13.1度(11:38)でした。

 

読売新聞に、中村さんの遺志心に 福岡 告別式に「1500人が載りました。

(記事の引用略)

昨日に投稿した「地方セミナー」についての記事を追加、『会報29号』より一部引用します。

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〜この日のために、中村さんはパキスタンから飛行機を乗り継ぎ、昨夜遅く東京経由で滋賀に着かれたばかりだった。アフガニスタンで用水路建設のため自ら重機を操って陣頭指揮をとる中村さんは。現地で足をひどく痛め、長時間、立つことも困難な状態であったが、そのことを知ったのは地方セミナー終了後のことだった。(中略)

 いよいよ中村さんの講演「医者、井戸を掘る、その後」が始まった。

「貧しいから不幸せではない」「二十年間をふりかえりまして、人助けというつもりはないでなかったが、助かってきたのは自分たちの方なのだ」中村さん、井上さんそれぞれ三十分ずつの講演の後、対談、会場との質疑というプログラムであったが、スライドを使って中村さんのお話は、三十分が過ぎても、会場の人が耳をそばだてる話が続いていく。「賢治と哲」という演題でバトンを受けた井上さん、「中村さんのお話を三十分で理解するというのは、お経を五分で理解するということで無理なことです。中村さんの話を聞いたら涙が出ます」「これから私が、中村さんのお話の聞き手となって聞いていきます」「対談という生ぬるいことではなく」「なぜ医者がサンダルづくり、井戸掘りをするのか」「なぜ今、重機を操っているか」等を。

 お二人のお話の中に、いつも賢治さん(その生き方)と連なるものがあり、今回の地方セミナーのテーマであった「辺境で診る 辺境から見る」ということが、どんなに豊かな営み、生き方であるかを照らしだす場となったように感じました。(以下略)

受賞者の経歴と業績 『会報29号』より引用します。

 中村哲氏は、一九四八年にパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任、以来ハンセン病のコントロール計画を柱にした医療活動に従事、八六年にはアフガン難民のために医療チームを設立。長期的展望に立ったアフガニスタン無医地区での診療活動を実践し、アフガン東部山岳地帯に三つの診療所を設立。九八年に基地病院をペシャワールに建設。二〇〇一年にはアフガニスタンの首都カブールに五ヶ所の臨時診療所を設け、主に貧困地区の患者の無料診療を行う。一方、空爆下の国内避難民への緊急食糧配給の実施、大旱魃に見舞われた民衆生活の再建と安全確保のために、井戸と水路の発掘と復旧にも従事する。

 現地からのレポートを中心とした著作も多數あり、激動する国際情勢や自然災害の下にあってなお揺るぎなく実践活動を重ねるにあたっての、世界と人間性に対する洞察に満ちた認識と知恵が示されており、民衆とともにあるその姿と滲みでるフューモアには、宮沢賢治の精神に通うものがある。

わが内なるゴーシュ 賢治作品:「セロ弾きのゴーシュ」に関わる内容は、明日に投稿します。