朝からどんより、曇り空…。
お天気下り坂…、東からの風も吹いています。
アメダス、最低気温は、氷点下2.3度(1:43)、太平洋側を前線を伴った低気圧が近づいて来ます。
内陸地方では「上雪(かみゆき)」が心配で、雪かき道具を朝のうちから用意しました。
朝食は、ご飯の残り具合から「パン食」に…。
食パンには、プルーンジャムとヨーグルト、コーヒー牛乳には、金平糖を2粒入れて…。
読売新聞・一面に、初優勝「徳勝龍」の嬉し泣きが…。
テレビ観戦、自分も「もらい泣き」の感動シーン…。
スポーツ欄には、千秋楽、大関・貴景勝を堂々寄り切りで破った写真が…。
大相撲の歴史に残る勝負として、LIVE映像とともに、脳裏・記憶に留めておきます。
「相撲」といえば、子どもの頃を懐かしく思い出されます。
終戦後、間もない小学生の頃、岩村田出身…郷土力士の「若嵐(わかあらし)」が幕下優勝しました。
記念・大相撲大会が、岩村田小学校の校庭で行われ、子どもたちも大喜びでした。
娯楽の無い終戦後のこと、大きな力士たちが砂だらけのぶつかり稽古、圧倒されました。
「初っ切り」の面白さ…、お相撲さんがあんなことをするんだ…。
所属部屋は高砂一門ということで、高砂部屋の力士たちも大勢、来ました。
横綱・前田山の力強さ、先代・「朝潮太郎」は当時、「米川(よねかわ)」の名でした。
目の前の「米川」は、鋭い目、毛むくじゃらの厚い胸板…、脳裏に焼き付いて離れません。
数年後の昭和28年、新制中学生、男子生徒たちの楽しみは、休み時間にやった、「相撲」遊びです。
各自が、お気に入り・贔屓力士名を名乗っての相撲・対戦です。
千代の山、吉葉山、名寄岩、清恵波、大昇(軽井沢出身・石田)、桜錦…、今も覚えています。
郷土力士の「若嵐」は、念願の「幕内」入りも果たしました。
そして、スポンサー・酒造会社の「千曲錦」を名乗りました。
その後の佐久市出身・郷土力士は、「大鷲(おおわし)」です。
「幕内」、長身でスケールの大きい相撲は、人気を博しました。
強豪・「魁傑(かいけつ)」関を破った相撲・勝負が、脳裏に焼き付いています。
朝から、気象情報は、今夜から明日にかけての大雪を警告しています。
夕方には、長野県中部・佐久地方に「大雪警報」が出ました。
積雪、30センチは、覚悟しないと…。
アメダス、最高気温は3.7度(13:50)でした。
今年初の「三日月」は、残念、雲に隠れてしまいました。