予報どおり、久しぶりに厳しい冷え込みです。
冬型の気圧配置、雲は無く、軒先に明るい朝日が差し込みました。
アメダス、最低気温は氷点下6.3度(7:06)、気温は昨日よりは上がりそうです。
風もあるので、洗濯物も干しました。
「早、お昼」をいただいて、佐久市立図書感へ…、ネット予約した絵本『ふわふわさんは けいとやさん』を借りたり、『現代農業』バックナンバーを返したり…。
午後からは、視聴覚室で「図書館ミニ講座」を受講しました。
講師・小林收先生の「おじいちゃんが語る佐久の今昔」。
8回目の内容は、「郷が大きくなると、長(おさ)ができ、舘(やかた)を作って守った」
鎌倉時代の制度、守護・地頭…、佐久にも「まとめ役」や「農兵」が現れた…。
「一遍上人」、「大井の舘」、「小田切の舘」…、興味深い名前が聞かれました。
3時には終了、眼前に迫る「白銀の浅間」を観ながら帰宅しました。
佐久の大地を作った「浅間山」…、帰宅して、本棚から『定本 浅間山』父なる山…その歴史と文化」を取り出しました。
カラー口絵「一遍上人絵伝」信州佐久郡伴野(大井太郎屋敷)が…。
遠景に「浅間山」(描かれた最古のものと考えられている)も描かれています。
ここで疑問が…、大井太郎の「長土呂舘」との関係は?
次回の講座内容、「北の大井氏と南の伴野氏が争いを始める」
南佐久の伴野に、「大井の舘」が存在していたのか…?
ということで、次回の講座が楽しみです。
次に、今日の講座でも話題になった、塚原地区に今も残る「流れ山」…。
ネット検索で、「流れ山」を引くと、「大崩壊で岩くず下る」、「佐久の田んぼに点々と山」
〜この黒斑火山の山頂部分が、今から2万数千年前に東側に向かって大崩壊を起こしました。そのとき崩れた巨大な岩くずが長野・群馬県境の山々にぶつかり、北と南にわかれて流れ下ったのです。このうち南側に流れたものが現在の佐久平駅周辺に流山を運びました。(以下略)
先述の『定本 浅間山』にも、同様の記述・表がありました。
現在の「三重式火山・浅間山」は、中央火口丘・釜山の標高は2.568メートル。
大崩壊前の「黒斑火山」は、現在の釜山頂上より300メートルも高い、2800〜2900メートル…。
上の写真にある点線のようになぞらえると、2〜3万年前の「黒斑火山」が現れます。
とりあえず、下の写真で、お試しください。
「黒斑火山」の右端頂上(2800〜2900メートル)は、画面中央の白い雲辺りでしょうか…。
実際の「浅間山」を見ながら試すと、「富士山」そっくりの、スケールの大きな「黒斑火山」が現れるはずですよ。
「正月八日」のお月さまは、午後3時には東の空高く、午後5時には天頂高くかかリマした。
アメダス、最高気温は、6.3度(14:14)、最大風速は、北西の風4.1メートル(11:50)でした。
明朝も、冷え込む予報です。