「佐久の季節便り」、「木の芽起こし」の雨が上がり…。

雨が上がり、「濃霧注意報」が佐久地方の全域に出ています。

それでも、「浅間山」はくっきりと朝日を浴びています。

アメダス、最低気温は7.4度(7:18)、異常な暖かさです。

昨夜遅くの雨は、22時、23時の各0.5ミリのトータル1ミリでした。

今日は「3.11」9周年、あの朝は、氷点下6.8度の厳しい冷え込みでした。

霧が齊れると、サンシュユ(’山茱萸)」・黄色の花芽が青空に映えました。

まさに、別名・「春黄金花」、小花が開くのも、もうすぐでしょう。

f:id:yatsugatake:20200311204516j:plain

9年前、東日本大震災」発生当日のマイ・ブログを開いてみました。

f:id:yatsugatake:20200311205316j:plain

今でも、当日午後2:46の瞬間をまざまざと思い出します。

その年の10月に出版された本、王敏(ワンミン)著『鏡の国としての日本』互いの<参照枠>となる日中関係 一部を引用します

宮沢賢治の研究家で、「宮沢賢治学会」からの受賞もあります。

宮沢賢治、中国に翔ける想い』(岩波書店

序文ー東日本大震災が立証した文化風土 

一、「ふるさと」に共鳴する日本社会 

二〇一一・三・一一。東日本大震災

 三陸沖での地球の身震いが日本に未曾有の惨禍をもたらした。

 マグニチュード9.0の揺らぎが巨大津波を惹き起こし、東北地方から関東にかけての太平洋岸を襲った。どす黒い波が防波堤を超え、あらゆるものを根こそぎ呑み込んだ。住みなれた家々を町ごと流し、助けを求める親・兄弟や多くの友だちを奪っていった。死者と行方不明者はおそらく二万人以上になるだろう。助かった人々も逃げまどい、避難所での暮らしを強いられている。

 このうえに、激震と水禍の自然災害によってコントロールを失った福島第一原発放射能脅威という災害も加わった。かつてない大災害が折り重なった三重苦にはたまらない。原発難民を生み、原発に近い故郷の人々は近寄ることもできないでいる。いったいいつ戻れるのか。

 避難所で唱歌「ふるさと」との出会いが何度もテレビで流れた。

  うさぎ追いし かの山

  小鮒釣りし かの川…

 お年寄りたちが、生まれ育った、記憶の中の故郷を思い出している。「もう一度祖先の墓のある故郷に帰りたい」。子どもたちもいっしょになって涙をうかべながら歌っている。聞いている。「故郷で友だちと遊びたい。」

 東北の三陸沿岸は「ふるさと」の原点のような風景の宝庫。山や野を駆けずりまわり、友と泳いだ、その故郷がもう跡形もない。記憶の中に残るだけの故郷をかみしめるようだ。

 唱歌「ふるさと」が日本人の心に響くことをこれほど外国人に納得させる情景はないと思った。大変な悲劇ではあるが、同時に日本の文化風土を再考させるものであることも間違いない。

ニ、「雨ニモ負ケズ」の原風景 (明日、投稿します)

 

昨日三月十日、発行 浅田次郎:『流人道中記』上・下

読売新聞・連載小説 で毎朝、楽しんだものです。

改めて読んでみたいと、昨日、町の本屋さんで、初版本を購入しました。

f:id:yatsugatake:20200311220213j:plain

『日本の伝説 東北』・宿場の様子とも合わせて読んでみます。

よく晴れて、裏の保育園建設現場では、駐車場の地ならし、植樹などが行われていました。

4月開園に向けて、いよいよ完成間近です。

アメダス、最高気温は15.1度(13:51)、最大風速は西の風5.8メートル(14:30)。

0.5ミリ(17;00)の雨も、記録されました。