長野県内には、「濃霧注意報」…、遠方は見えません。
今朝も、かなり冷え込みました。
アメダス、最低気温は5.0度(3:01)、秋晴れですが、次第に雲は多くなる予報です。
朝から、風が強く吹いています。
新聞を取りに出て、「ミセバヤ」の花に気づきました。
和名の由来は、「花の美しさを誰に見せようか、見せたい…」の意味…。
この由来について、知ってはいましたが、本気で眺めることは少ないです。
今朝は、近寄って観ました。
地味だけれど、星型の花のまとまりが、確かに美しいですね。
ベンケイソウ科で、「タマノオ」とも呼ばれます。
この株は亡き父が育てたもので、世話好きの父が偲ばれます。
日が差し始めたので、部屋に取り込んだ「ペンタス」などをベランダに出しました。
今日やるべき仕事は、明日のFm放送資料を図書館に届けること…。
図書館・駐車場の植え込みの木々が紅葉し、早くも落ち葉の季節に…。
子どもの頃に、「岩村田城址」の自然の中で遊び回ったこと、動・植物と関わり楽しんだこと…、話題が尽きませんでした。
自然の中での遊びについて、読売新聞のコラム・よみうり寸評 一部を引用します。
山猫に招かれて森へ入った少年が奇妙な裁判に巻き込まれる。宮沢賢治の童話「どんぐりと山猫」は秋色に彩られて郷愁を誘う◆誰が一番偉いかと言い争う<黄金のどんぐりども>が裁判の当事者である。判事役の山猫を助けて事態を収めた少年はお礼にどんぐりをもらうが帰宅したら、その黄金色が普通の茶色に変わっていたというくだりが味わい深い◆野に出て、ドングリを拾い集めた日々がよみがえってくる。そんな外遊びの機会が減っているのも一因だろうか。スポーツ庁による昨年度の「体力・運動能力調査」結果である。◆いまの10代を1964年の東京五輪当時の同世代と比べると、筋力の指標となる握力が低下傾向にあるという。身長と体重は大きく上回っているから。体格に体力がついてこないといえようか。「コロナがもたらした運動不足も鑑(かんが)みると、今後が少々気がかりである◆(以下略)
予報どおり、日差しが消え雲が広がってきました。
昨日に採った、水浸けのために不出来な「大豆」を処理しなければなりません。
とりあえず莢をもいで、茶色の物は中から種子を出し、黄色から緑色の物は「枝豆」として、茹であげました。
茹で時間は、普通より長めにして…、問題なく美味しく出来上がりました。
曇って寒いので、外仕事は敬遠…。
2021年大河ドラマ「青天を衝け」・タイトルの出典は…。
渋沢栄一の漢詩・内山峡が…、ということでネット検索してみました。
〜これはいったい何のことやら?
「青い空に向かって何か叫べ的な?」
字面からそんな風に思ってしまうかもしれませんが。もちろん由来はあります。
まずは結論を申しますと、『晴天を衝け』とは、若き日の渋沢栄一がまだ家業である藍玉(染め物の原料)売りを手伝っていたころに詠んだ漢詩が由来です。(中略)
渋沢家では藍を自家生産・買い付けによって調達し、信州・上州・秩父の染物屋に卸すことで財をなしていました。
栄一はこの家業を手伝い、お得意様の染物屋訪問や、藍の買い付けなどを担当していたといいます。
今で言えば「営業マン」に近いかもしれませんね。
そんなある日、栄一は信州の内山峡(現在の長野県佐久市付近にある峡谷)を経由して藍玉を売りに出かけました。
彼は現在の埼玉県深谷市に住んでいたので、今なら電車でも車でも大した距離ではないように感じます。
が、当時は言うまでもなく徒歩移動が原則であり、峡谷を越えるというのは身の危険と隣り合わせの「冒険」でした。
厳しい道を歩いた栄一は、そこでタイトルの由来となった漢詩を詠みます。
それが、
現代語に訳すとこうなります。
「青天をつきさす勢いで肘をまくって登り、白雲をつきぬける気力で手に唾して進む」
(以下後日に)
孫娘が、春から比較観察してきた「大豆・子葉のはたら調べ」、「大豆」が一生を終えたので、まとめました。
これからの課題は、観察結果をグラフ化してみることです。
夕方、雲間に「五日の月」が西空に輝きました。
アメダス、最高気温は15.6度(14:06)、「秋晴れ」は短時間で、風もあり寒い一日でした。