「佐久の季節便り」、雨の日、「和宮の通行」を読んで…。

朝、6時、激しい雨音に目覚めました。

予報通り、ありがたい「お湿り」だと、歓迎の雨です。

昨夜発表のポイント予報にも、傘マークが並んでいます。

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階下に降りて、雨雲レーダー画像を見ました。(6:10)

長野県の東端佐久市辺りに黄色から赤色の表示、確かに大雨です。

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アメダス、最低気温は14.8度(6:44)、雨、所によっては雷雨…の予報です。

ラジオに雷の雑音が入り、この季節に雷雨というのも、異常気象ですね。

午前中、「さくのわ花物語」・運営委員会に出席しました。

「賢治ガーデン」には、野菊が咲き始めました。

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黄色の「泡黄金菊(あわこがねぎく)」は、名前のとおりですね。

植物図鑑によっては「菊渓菊(きくたにぎく)」の表示もあります。

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傷薬としての薬効があるほか…、昔は入浴剤として、全草を乾燥してお風呂に入れました。

昔は、田んぼの土手に繁茂していましたが、残念ですが、近年は殆ど見かけません。

会議は、17日に計画のイベント・「市民交流ひろば ハロウィンフェスタ」の最終打合わせです。

参加者募集、コスプレファッションショー パレ〰ド 

同時開催! 信州音楽フェスタ 

コロナ対策を万全にして!! ちょっと寒い日になるかな…。

会議が終わって、岩村田駅わきを走行すると、JR小海線ハイブリッドカーが出発したところ…。(12:20)

 

午後も、ときどき冷たい雨が降り、外に出る気になれません。

本棚から、冊子を取り出すと興味深い文章が…。

和宮の通行」追而書(おってがき)

一、岩村田藩の対応

 事前に各藩や各宿場・助郷村々などに通達されていた、「和宮中山道通行日程」の仲で、同年十一月七日八幡宿泊、翌日八日沓掛宿までの通行途上において、岩村田藩に課せられていたことは、塚原村相生の松の松付近での小休(野点・のだて)場の設営・接待と、岩村田宿から小田井宿までの道路警護であった。

(一)小休所の設営 

 現在浅間総合病院の西側に隣接して、三代目の「相生の松」が植えられている。この近辺が「野点て場」となった。当時の世論においては、浅間山をのぞむ佐久の風景を楽しむというようなことは全く不可能で、幕府は事前の検分調査によって場所を決定し、厳重な設営を指示している。

和宮様御下向御達書写、御幕張御小休所絵図仕様(池田教一家蔵)』には、左掲の設計図(略)が示され、各部屋の坪数・用材の長さ、太さ・羽目板・敷物・天幕・塀などの規格についても詳細に記している。さらに随行する多くの女性付け人のための用所(手洗場)についても、坪数・用器の規格につき細かな仕様が示されている。

和宮野点の座所については、

「上の御間、軒高壱間半、弐間四方・上げ畳二畳敷き・天井付き、天幕を張り巡らし、外から見透かされないように張幕の暑さ、上げ幕・垂れ幕の別、敷き物(薄縁敷)と記され、建物全体は「御屋根萱葺または板葺、御外廻りの葭囲塀」とあり、想像外に堅固な仕様を要求されていたことがわかる。

(二)通行道路の警護 (以下略)

筆者、まとめの記述には、〜助郷の人々への思いや、国家の大事業に対する存念を書き残している。筆蹟の主は村役を退任した高齢の方と考えられるが時勢への確かな見識が窺われる、やがて幕末の政情はこの一庶民の予言のように激しく推移し、明治維新を迎えることになる。

 

アメダス、最高気温は18.6度(12:40)、雨量は午前に12.0ミリ、午後に2.0ミリ、トータル14.0ミリでした。

振り返れば一昨年の台風19号の豪雨は、雨の少ない、佐久市でも300ミリ超え、大きな被害を出しました。

自然災害は、これからも覚悟しておかねばなりません。