「佐久の季節便り」、「大雪(たいせつ)」、佐久市のアメダス、雨量は、33.5ミリ…。

二十四節気・「大雪」、初冬、季節外れの雨は、夜通し降り続いていました。

でも、ラジオの気象予報士は、「上田・東御(とうみ)に大雪警報が…」と、告げました。

佐久市は同じ長野県東部、上田・東御はお隣りなので、他人事ではありません。

今日こそ、冬用タイヤに交換しなければ…。

アメダス、最低気温は5.3度(5:53)、雨は午後には上がる、予報です。

12月8日は「真珠庵攻撃」、忘れられない、太平洋戦争が始まった日です。

まだ4歳だった…、あれから、もう80年も過ぎたんですね。

テレビでも、真珠湾攻撃が報じられました。

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読売新聞一面に、真珠湾攻撃80年 遠くに煙「戦争始まった」

 1941年12月、旧日本軍が米ハウィ・オアフ島真珠湾パールハーバー)を奇襲してから8日で80年を迎える。当時7歳だった日系2世の男性は、ハワイで目にしたあの日の光景を忘れない。(ホノルル 渡辺晋

 12月7日(日本時間8日(日曜日の朝だった。日系2世のトモユキ・R・セキヤさん(87)は、父と兄の3人で魚釣りに出かけようとすると、警官に呼び止められた。「どこに行くつもりだ。今、本物の戦争が起きているんだぞ」

 十数キロ離れた真珠湾の方を見ると。黒い雲がもくもくと上がっていた。日の丸を付けた航空機が飛んでいるのも見えた。当時7歳。この攻撃が日系米国人にもたらす意味や苦悩までは理解できていなかったが、「戦争が始まったんだ」と実感した。

 真珠湾攻撃で米国側の死者は民間人を含め約2400人に上った。「リメンバー・パールハーバー真珠湾を忘れるな)」。この言葉は当時、米国民の結束を促す目的で使われた。奇襲をかけた日本を非難する反日的な意味合いもあった。

 あの日から80年たった今、この言葉に異なる意味を見いだす。「真珠湾攻撃は決して忘れない。どう考えても戦争に意味はない。年を経るごとに世の中が変わっても、12月7日をその原点に立ち返る日にしたい」

 

今日、絵はがき 佐久病院 5相セットの原画を描いた本人からいただきました。

「佐久病院」の文字は、若月俊一先生だそうです。

昼食を共にしながら、会話がはずみました。

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先日、畑で採った「小松菜」と、埼玉産・「赤かぶ」です。

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強い霜で、柔らかくなった「小松菜」は、素晴らしい食材です。

厨房に入って、「男の料理」をサービスしました。

魚肉ソーセージ、きのこ、塩コショウ…、簡単で美味しい、お得意料理です。

これからも時々、食膳を飾りますよ…。

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姉は、お昼前には上がりました。

一昨日の夕方・20時から振りは締めた雨は、昨日20時までの24時間雨量が、13.5ミリ…。

そして、昨夜のうちに、6.0ミリ、本日に日付が替わってから、雨が上がるまで20ミリ。

今回の雨、トータル雨量は33.5ミリと、まとまった量になりました。

一昨年の台風19号」豪雨は、何と300ミリ超えです。

今回の10倍だから、大変な豪雨だったことが分かります。

 

アメダス、最高気温は8.4度(13:57)でした。

明日は、すっきり晴れる予報です。