「佐久の季節便り」、「ミニ・白ゴーヤ」の種子を採り出しました。

予報の雨は、やはり降りません。

今朝、「浅間山」が久しぶりに見えて、裾に白い帯状の雲が…。

アメダス、最低気温は19.8度(5:07)、20度以下だとやはり涼しいです。

「曇り、時々晴れ、午後、所によってはにわか雨が降る。」

ここしばらく、同じ天気予報が続きます。

 

娘家族が、「お盆・お線香」を上げに立ち寄りました。

持参の本家産「ワッサー」桃が、供えられました。

果肉の色は黄色で、固い歯触りが特徴の桃です。

今日は「終戦の日、77年目、早いものですね。

読売新聞のコラム・編集手帳 引用します。

<戦争が廊下の奥に立ってゐた>。ふと気づくと日常のありふれた場所である<廊下の奥>に。戦争が立っていたという。薄闇に潜むとてつもなく大きな怪物が、安穏とした日々を一気にのみ込む恐怖を17字に落とし込んだ◆戦時下では俳壇も弾圧された。渡辺白泉のこの句は1939年(昭和14年)ごろの作といわれる。ほどなく治安維持法違反で逮捕され、沈黙を強いられた◆風刺画に大統領を描くことさえ刑罰の対象になるロシアの現状は、日本の過去にもあった。大戦の惨禍に等しく、忘れてはならない過ちだろう◆ウクライナ侵略が始まり、この21世紀にまさかと震撼していた頃、カミュ『ペスト』の一節を読み返した。<バカげたことというのは何度も繰り返し起こる。<バカげたことというのは同程度でも繰り返し起こる。<人間が自分の言葉かり考えるのをやめれば、気づくことだ>。ここでいう人間は国家や為政者にも置き換えられよう◆戦争は兵士にしろ、市民にしろ、人の命を物のように軽くする。<夏の海水兵一人紛失す>(白泉)。死亡ではなく、紛失である。侵略を受ける国の惨状に胸を痛めながら、廊下の奥に目をやる終戦の日だろう。

 

完熟した「ミニ・白ゴーヤ」から、種子採りをしました。

乾燥・保管して、来年の種播きに使います。

今日も、雨は一滴も降りませんでした。

夕方、暗くなってから、裏の花壇に水やり…。

明日も降らなければ、「ひろば・賢治ガーデン」に行き、ホース水やりです。

アメダス、最高気温は、32.2度(15:14)、蒸し暑い「真夏日でした。