「佐久の季節便り」、「糸瓜(糸瓜)」が完熟し、「真夏日」に収穫…。

朝夕は、だいぶ涼しくなりました。

裏の草叢からは絵、秋の虫たちが、ここぞとばかりに賑やかです。

アメダス、最低気は17.7度(4:49)、「白露」に相応しい涼しさです。

連日、佐久地域に「濃霧」と「雷」の注意報が続いて今えす。

しかし、霧が霄れレは、暑くな離、雷雨は期待できません。

「ひろば・賢治ガーデン」のボランティア活動は、先ず「ホース水やり」です。

西の端で青息吐息の「藤袴」への水やりは、今回も小川作戦を取りました。

ホースが届かないための、苦肉の策です。

でも、木陰での水遊びは、小学生になった気分で楽しいですよ。

先日に芽生えを確認した彼岸花蕾も赤く見えて、開花が楽しみです。

最西端の「馬の鈴草」は、幼虫にとって命に関わります。

こちらには、如雨露(じょうろ)でやました。

中央の、長ハート形の葉を食べて、育ちます。(右側は、スミレの仲間で食べません)

午後になって、ぐんぐん気温が上がっています。

大型プランター栽培の「糸瓜(へちま)」は、今でも開花し、結実中です。

最初の果実は、完熟したので収穫しました。

種子を採り、「たわし」にしましょう。

帰宅したのは、午後2時を回っていました。

よみうり寸評<9.12夕刊> 引用します。

滝の音がどこかで響く。見たいと思ったが、たどり着けない。<音だけが聞えて、姿が見えない瀧も、中々趣のあるものと知った>。白洲正子の「瀧に想う」という随筆にある◆独文学者の高橋義孝は内田百閒邸に招かれたとき、障子の外に花火の音を聞いた。<目に見えない、音だけの遠花火というものは実に趣の深いものだということをその時知った>と述懐する(随筆「両国の川開き」)◆2人の著名な文筆家が、よく似た言葉で、よく似た“発見”を披露している。目に映らないものを心で捉える醍醐味ー思えば虫の声を聞くことにもそれはある。会社帰りの夜道で雑草に潜む小さな演出家の姿を眼底に浮かべたり、年を越せないその命を哀れんだり…◆高浜虚子の次女、星野立子詠んだ。<障子しめて四方の紅葉を感じをり>。音がなくても心は働くことを物語る一句だろう◆中秋の名月だった土曜日も、雲に隠れた月を同じように堪能した方がいたかもしれない。心の目を凝らす機会の何かた多い季節が到来した。

 

夕方、「トラデスカンチア・ゼブリナ」を挿し芽しました。

拾ってきた「トチの実」を使った「笛」作りは明日以降にします。

アメダス、最高気温は31,2度(14:24)、「真夏美」になりました。

とにかく、雨が欲しいです。