初夏、追分・泉洞寺の石仏に逢う。

追分は、「サトザクラ(里桜)」が見頃

同級会、お宿の朝は穏やかに晴れて、行楽日和です。
二日目は、ここ数年は近くを研修する計画になっています。
今回は、軽井沢・追分の地を訪れます。
先ず、「堀辰雄文学記念館」へ…、小径わきの木陰は苔で覆われています。
浅間山麓、標高1000メートルの高齢地は、霧・雲によって湿り気がもたらされるのです。
今までに数回ほど訪れていますが、佇まいはいつも新鮮です。
ガイドの解説を引用します。
〜昭和19年からは、疎開と療養を兼ねてこの追分に定住、昭和26年7月には追分に家を新築し、亡くなるまでの1年10ヵ月療養の日々を送り昭和29年5月28日、この家で生涯を閉じました。〜
見学して、展示されている書籍類の多様さの驚きました。
亡くなる10日前に完成した、書庫・本棚にも圧倒されました。
近くに、堀辰雄が散策した泉洞寺・石仏があります。
辺りには、佐久市より1週間ほど遅れて、「サトザクラ(里桜)」が見頃になっています。
いつもの習慣で、花を手に取り、雌しべの葉化現象・先祖返りを確認しました。
駐車場から5分ほど歩いて、その石仏に出会いました。

土地の人たちは「歯痛地蔵」と、親しんでいたものです。
堀辰雄の『大和路・信濃路』の「樹下」に登場します。一部引用します。
その藁屋根の古い寺の、木ぶかい墓地へゆく小径のかたわらに、一体の小さな苔蒸した石仏が、笹むらのなかに何かしおらしい姿で、ちらちらと木漏れ日に光って見えている。いずれ観音像かなにかだろうし、しおらしいなどとはもってのほかだが、ーいかにもお粗末なもので、石仏といっても、ここらにはざらにある脆い焼石、ー顔も鼻のあたりが欠け、天衣(てんね)などもすっかり摩滅し、そのうえ苔がほとんど半身を被ってしまっているのだ。右手を頬にあてて、頭を傾げているその姿がちょっとおもしろい。一種の思惟像とでもいうべき様式なのだろうが、そんなむずかしい言葉でその姿を言いあらわすのはすこしおかしい。もうすおし、何といったらいいか、無心な姿勢だ。それを拝しながら村人たちだって、彼等の日常生活のなかでどうかした工合でそういった姿勢をしていることもあるかも知れないような、親しい、なにげなさなのだ。…そんな笹むらのなかの何んでもない石仏だが、その村でひと夏を過ごしているうちに、いつかその石仏のあるあたりが、それまで一度もそういったものに心を寄せたことのない私にも、その村での散歩の愉しみのひとつになった。ときどきそこいらの路傍から採ってきたような可憐な草花が二つ三つその前に供えられてあることがある。村の子供らのいたずららしい。が、そんなのではない。もうすこしちゃんとした花が供えられ、お線香なども上がっていたことも、その夏のあいだに二三度あった。
 帰り道、駐車場の植え込みに、白い花を着けた「ウワミズザクラ」の木を
見つけ、雑木林の雰囲気を見せてくれました。
 近くのお蕎麦屋さんで昼食をし、お開きとなりました。
 今日の佐久市アメダス、最低気温は10.8度(2:10)、最高気温は20.8度(11:10)でした。
 夕方、初夏の風にオダマキ苧環)」の花が揺れていました。