祝日「勤労感謝の日」は、昔の「新嘗祭」。

yatsugatake2004-11-23

今年の取り入れはすっかり終わり、木々の葉も落ちて、辺りは冬景色になりました。
我が家の新米は、すでに1週間も前にいただきました。「新嘗祭」を、広辞苑で引くと
天皇が新穀を天神地祇にすすめ、また、親しくこれを食する祭儀。古くは陰暦11月の中の卯の日に行われた。近時は11月23日に行われ。祭日の一とされたが、現制ではこの日を「勤労感謝の日」として国民の祝日に加えた。(以下略)」と解説がありました。
さて、世の人々は、今日の祝日をどのように過ごしたのだろうか?
この日に、勤労、特に主食のお米の生産に携わる仕事と人について、少しでも心を留めてほしいのです。米の文字を分解すれば、八十八となります。つまり、八十八ものたくさんの作業の結果、ようやく得られるのがお米なのです。

去る11月10日のこと、裏の保育園から元気のよい声が聞こえてきました。この日は10月10日の月遅れの日。つまり、佐久地方の年中行事の「十日夜」ということです。本来は、旧暦の10月10日に行われてきた「十日夜」。
因みに、今年は、新暦の11月21日が、「十日夜」でした。

「とおかんや、とかんや、夕飯食ってぶったたけ。」と歌いながら、藁で作った鉄砲を打ちつける。新米が取れたことに感謝し、お米作りにとっての害獣、モグラを追うのだといいます。そのあと、お餅つきをしていました。そして、お相伴にあずかりました。

今の時代も、子どもたちの楽しい行事になっています。

8月、開花した稲の花。その画像を載せておきます。