迎え盆。「雲の峰」、大雨・雷注意報、降りませんでした。

yatsugatake2006-08-13

8月13日は「迎え盆」です。そして、忘れもされない長野市が空襲を受けた日です。
長野市では、恒例の「長野空襲を語る会」が開かれました。
仏都長野市で、47人もの犠牲者があった事実、風化させるわけにはいかないのです。
今を去る61年前、その日は終戦の二日前でした。例年のように、お盆行事で母の実家に出かけていました。そこで、長野空襲に遭い、子どもながらに戦争というものを実感しました。
空襲のターゲットは、長野駅周辺でした。鉄道の拠点と併設されている工機部、ここをねらうのは、常套手段なのでしょう。空襲警報発令、3キロほど離れていても防空壕に逃げ込めねばなりませんでした。子どもはいわれるままに行動しました。大人たちもあたふたしていました。祖父は、母屋に残り家と命を共にする…。誰かに言われて、あわてて母が外に出て、弟のおしめを物干し竿から取り込みました。白く光るので、目標(目印)になると言うのです。
時間がどれほどだったのか、壕の中の様子など記憶はあまりありません。
空襲警報が解除されて、外に出て見ると、長野駅周辺はもうもうたる煙に包まれていました。
その夜、電車も動かず、夜通し歩いて自宅まで逃げ帰りました。
画像は、休耕田からの景色です。今年も、ミソハギが咲き稲穂が出揃い、浅間がどっしりと座っています。