賢治が生徒を引率して、函館を訪れた日です。

「摩周丸」記念館、夜景

今日5月19日は、大正13年5月19日に、賢治が花巻農学校の生徒を引率して、函館を訪れた日です。セミナーの開催期日を、この日に合わせたからです。
今年は、青函連絡船就航100年だそうです。賢治たちが青森港から乗った青函連絡船は、「比羅夫丸」か「田村丸」とされています。
今、函館湾に係留されている摩周丸は、記念館(メモリアルシップ)になっています。(昨夜、ほろ酔い気分で散策し、撮りました。)

パンフレットに、「海峡に刻んだ、80年の航海史」とあるとおり、充実した展示に目を見張りました。
特に、洞爺丸台風による大惨事は、記憶を新たにした思いでした。
いよいよ帰路に着きます。
12:53発、「スーパー特急白鳥22号」の乗客となりました。津軽海峡の海底トンネル列車、今年は開業20周年だそうです。
それにしても、人間はたいした事をやるものです。
海底トンネルの、「竜飛海底駅」に停車しました。
窓から、駅名を撮りました。

トンネルから抜け出ると、明るい日が差して、なんだかホッとしました。
青森で、列車の方向転換がありました。そして、この列車で、もう一つの目的があります。
それは、浅虫温泉駅近く、「木のいっぱい生えた三角な島」を、もう一度しっかり見て写真に収めることです。
宮沢賢治の「或る農学生の日誌」から、一部を引用します。
いま汽車は青森県の海岸を走ってゐる。海は針をたくさん並べたやうに光ってゐるし木のいっぱい生えた三角な島もある。いま見てゐるこの白い海が太平洋なのだ。その向ふにアメリカがほんたうにあるのだ。ぼくは何だか変な気がする。
往きにも、2枚撮りましたが、前の家などと重なってしまい、「島」とは見えませんでしたから…。
駅が近づいたのでデッキに向かいました。車内販売の方が入室を待っていたので、「あの島の名前は何ていうの?」と尋ねました。「湯の島です。」と、教えてくれました。「宮沢賢治の作品に登場しているんですよ。」と言うと、関心を持ってくださいました。
おかげで復路では、海が写っている「島」の写真がなんとか撮れました。左側に、赤い鳥居も見えます。ちょっと曇り空ですが…。


摩周丸」の操舵室にあった「海図」にも、「湯の島」が載っており、航海の上で大切な島であることも分かりました。
海図の画像、ほぼ真ん中、海上にぽつんと「小さな円形」として見えます。