「春霞、月は天頂、日は東」

下弦・半月より欠けた「正月二十五日」

風が無く放射冷却の効果により、軽井沢よりも低温を記録しました。
早朝、新聞を取りに出た頃には、アメダス最低気温は氷点下6.7度(3:30)
起き出してから見ると、アメダス最低気温は氷点下7.4度(6:20)
太陽が出るまで、下がり続けたのです。
旧暦、正月二十五日、お月さまは「下弦の半月」より欠けました。(6:27)
イチイ(一位)」の木陰に、お月さまは小さく見えます。

1時間もすると太陽が出て、天頂まで移ったお月さまの左半面を照らしています。(7:21)
春霞、月は天頂、日は東」、こんな句をひねり出しました。

日中、日差しはありましたが風が出てきて、体感温度は上がりませんでした。
ラジオ、「今日は何の日」で、「昭和8年、三陸地震・大津波」が放送されました。
昭和8年といえば宮沢賢治が亡くなった年、詩人・大木実に宛てた葉書があります。(3月7日の消印)
 この度はわざわざお見舞
 をありがとう存じます。被害
 は津波によるもの最多く
 海岸は実に悲惨です。私共の
 方野原は何ごともありません。
 何かにみんなで折角春を待って
 ゐる次第です。まづは取急ぎ
            お礼乍ら。
近くで、電線の付け替え工事が行われて、午後1:15〜4:15、3時間の停電になりました。

数カ所の電柱の周りに、作業員が10人以上の大掛かりな工事です。
高い、寒い、危ないの大変な作業を、テキパキと能率的に進めていきます。
3時を回ると、部屋の温度が下ってきました。
もちろん、ガスも灯油も、ファンヒーターは使えません。
少しは足しになるかと、台所の灯油ストーブを点けました。
電気はライフラインそのもの、電気のありがたさを痛感し、作業員にも感謝しました。
アメダス、最高気温は13.5度(12:30)でした。