「佐久の季節便り」、西空に、月齢1.3の「二日月」が…。

朝の冷え込みは、相変わらずです…。

空には雲が無く、浅間連峰もくっきり見えています。

「冬型が緩み、高気圧に覆われて…」と、気象予報士が告げました。

アメダス、最低気温は氷点下6.3度(6:46)、ポカポカ陽気になる予報です。

早くから、日差しのぬくもり、花の日光浴、寝間着類も外干しに…。

出窓の、カランコエ・ハッピーベル」が見頃になっています。

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軒先の鉢物や、宿根草の芽生えにも、シーズン初のホース水やり…。

春が早いアブラナ科の「ルナリア・合田草」や「諸葛菜(しょかつさい)」も、伸び始めました。

 

今日は土曜日、大河ドラマ麒麟がくる」の再放送がありました。

光秀を悩ませた悪夢は、月にまで届く大木、月にまでのぼろうとする信長…。

帝・正親町天皇から、「信長が心配…、見守るように…」

そして、斧が本物に…、夢は正夢に…

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大木を斧で伐り倒すこと、即ち、信長を討伐する決意をしたのでした。

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1月6日付け読売新聞・文化欄 細川家資料が伝える真の「光秀」 

信長との関係、娘ガラシャの最期も 一部を引用します。

~天正10年(1582 )年6月に起こった本能寺の変の関連では、変の直後、領地の丹後(京都市北部)から動こうとしない藤孝・忠興父子に、光秀が援軍を求めた書状も展示されている。

「信長殺害は、権力を忠興や私の子孫の世代に譲り渡すためであって、決して私利私欲のためではない。いまからでも京都に出てきてほしい」という趣旨で、変直後の、切迫した様子が伝わってくる。(以下略)

「謀反人」だけではない光秀の実像が読み取れる…、というわけです。

 

今夕の楽しみは、正月・「二日月」の観望です。

6時少し前から、2階ベランダでスタンバイ…。

西空は雲ひとつ無く、夕焼け…、絶好の条件です。

日の入り時刻、17:26(長野)から、約30分後,夕焼けの西空高くに見えました。

(16:58)

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<月>の会の仲間と、連絡を取り合い、見え方などの情報交換しました。

望遠レンズで撮り、デジタル拡大しました。(18:05)

月齢1.3のお月さまは、予想外に細いお月さまでした。

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来宅していた孫娘にも、観望を楽しませました。

月の入時刻18:48(長野)、約30分前ぐらいまで観望できました。

明日の「三日月」さまも、乞う、ご期待です。

アメダス、最高気温は16.2度(13:53)、季節外れの暖かさでした。