昨日、午後からの本曇りが、夜が更けてから降り始めました。
雨は夜通し止まず、朝になっても降り続き、「大雪・着雪注意報」まで出る始末…。
一時、綿雪がぽたん、ぽたん…、と、お昼前に、ようやく止みました。
アメダス、最低気温は1.9度(9:16)、昨夜来のトータル雨量は20ミリ、まとまった量になりました。
佐久地方で、昨夜から休み無く降り通した、雨の降り方は、珍しいことです。
真夜中の降りは、相当激しかったんですね。
今日、「3.11」の日に、小6の孫娘を振替休業で預かりました。
「8年前には、何歳だったのか、大震災を覚えていたか…」と、問いました。
もうじき4歳の保育園児で、ロッカーに逃げ込んだことを覚えていました。
2011.3.11 「佐久の季節便り」のタイトルは、「東北地方太平洋沖地震」発生
一部を引用します。
〜予報通り、次第に曇ってきました。
午後には、気温が下がり雪が舞い始めました。
寒風の吹き荒ぶ中、ケーブルテレビの配線工事です。
大地震が起きたのは、工事が終わり玄関先で話しをしているときのことでした。
今までに経験したことのない揺れ…。長くゆっくりしたもので、身の危険を感じました。
その後、大津波の発生が放映されると、その猛威にただただ圧倒されました。
マグニチュード8.8(後に9.0と訂正発表)という、明治時代観測史上最大だそうです。
地震災害が他人事でないこと、今日の体験で身にしみました。
被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
千葉や大阪の兄弟から、安否を気遣う電話が入りました。
当日、自分の体験、被災された皆さん方の恐怖・喪失感は如何ばかりかと、今も心身から抜けることはありません。
テレビで「東日本大震災八周年追悼式」、午後2時46分から1分間、孫娘は「ガーベラ」の花を手に黙祷を捧げました。
今朝の読売新聞社説・見出しと内容項目とを記します。
残された課題に一段の注力を
人口減踏まえた対応策をさぐれ
住民の孤立を防ごう
実効性のある整備計画に
息の長い支援が必要だ
8年後の今、復興の現状をテレビなどで視聴すると、被災者への支援がまだまだ必要と思われます。
信毎夕刊には、雨の被災地 鎮魂の祈り
5万2000人続く避難生活
午後には晴れて、「五日のお月さま」が天頂にかかり、夜10時頃に、西に沈んでいきました。
アメダス、最高気温は11.7度(14:26)でした。