「賢治を読む会」、「二十六夜」をまとめました

11日は、「鏡開き」です。

北日本では冬型が強まり、大雪だそうです。
内陸の佐久地方は、雪がなく冬晴れの日々です。
昨夜、十三日・残月が、西に沈むところです。(4:31)

アメダス、最低気温は氷点下2.9度(7:10)、日中は気温が上がる予報です。
正月11日は「鏡開き」玄関のお供え餅を下げます。
『ニッポニカ』を引用します。
〜以前は20日が一般的であった。徳川家光の忌日が20日であるため、11日に繰り上げられたという説がある。
〜近来は武道の寒稽古に引き継がれ、終わった日に鏡餅で汁粉をつくって食べることが多い。鏡餅は刃物で切ることを忌み、手で欠いたり槌でたたいたりして割る。開くというのは縁起を担いで、めでたい言葉を使ったものである。(以下略)
我が家では、鏡餅」に「繭玉・稲の花」も仲間に入れて、お汁粉にして味わいました。
先ず、フライパンでこんがり焼きました。

「お汁粉」の出来上がり、結構なお味でした。

今日は、「賢治を読む会・1月例会」佐久市立中央図書館に出かけました。
賢治童話、「二十六夜を3回に分けて読んできた、全体のまとめです。
植物標本の紹介は、ロウバイ(臘・蝋梅)」、「ジンチョウゲ沈丁花)」、どちらも春早い花の代表です。
旧暦、十二月の異称に「臘月」があり、「臘(ろう)」と呼ばれる、猟の獲物を神々や祖先に供える祭が、行われる月(一年、最後の月)であることを、話しました。
テキスト本文を読んだ後の感想発表で、5年前に発行した会の文集『ひきざくら 第三集』への投稿文が、今日も話題になりました。
「二十六夜」について、会員二人の文章が載っているのです。
ここで、大事な記述・文章の一部を引用させて頂きます。
「二十六夜」を読み思うこと
〜「梟の子穂吉」の不条理な死は、人の世のそれと重なり、梟のお坊さんによる経文の講釈に解決がないだけに切なく、深い感銘を受けました。賢治さんを童話作家として括っていた事は間違いでした。賢治さんは宇宙からの視野で全てを見ていると、作品を読んでいくうちに思った事があります。そう考えると、人の一生などというものは、一瞬のうちに消え去ってしまう儚いもの。賢治さんは、出会う多くの物に好奇心無く接する事は、できなかっただろう、全ての物が愛おしかっただろうと思えるのです。
 私は認知症を患うお年寄りの生活を支援する職に就いています。孤独感や忘れてしまう悲しみや苦しみを訴えられる事も多々あります。お年寄りと介護者が共に、同じ月や星、植物などを見て、笑顔を交わす時こそ、次の瞬間には儚く消える記憶だったとしても、今を生きるお年寄りにとって苦しみのない瞬間です。儚くも愛おしい時間です。お年寄りと過ごすそんな時間の大切さを、賢治さんにそうっと気づかされたような気がします。〜(以下略)
十六夜
〜96年間がんばって生きてきたのだから、もう安らかに眠ったほうが母にとっては幸せかもしれないとも思ったり、いつまでも生きていて欲しいとも思ったり、遠い母は、夜半遅くやっと昇る二十六夜の繊月のように思った。
 「もう無理しなくてもいいから老母(はは)よ二十六夜の月は昇りぬ」
 広辞苑によると、二十六夜待と言って陰暦の7月と正月の二十六日の夜半に月の出を待って拝すること。月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が姿を現すと言い伝えられた。生命の瀬戸際にいる母のことを思い合わせたのも、二十六夜の月光に仏を見た昔の人と思いは同じだったのかと不思議な気持ちだった。辞書を見たのは短歌を作った後だったから。
 今年は二月三日が節分で二十六夜、その夜は起きていて二十六夜待ちをしよう!(以下略)
 読みのための参考資料として、『月と季節の暦』(志賀勝)、ブログ「佐久の季節便り」を示しました。


会を終えての帰路、田んぼ道を走行中、フロントに浅間山が飛び込みました。

夕方、「十二月十四日」のお月さまが、東の空に昇りました。(16:38)

大相撲、初場所三日、あっぱれ「御嶽海」
先場所優勝の「横綱鶴竜」を、押出しで破る、二つ目の金星