二日目、エクスカーション「高村山荘・記念館」見学。

「ミツバウツギ」(高村山荘に続く小路

セミナーの二日目は、ゆかりの地を訪れるエクスカーションです。
目的地は、「高村光太郎山荘・記念館」〜「円万寺観音」です。
バス車中は、市民のボランティアガイドさんのていねいな説明がありました。
山荘の場所は、花巻の街からは意外に遠いなと感じました。
近くで、「ポッ、ポッ、ポッ…」、「ツツドリ(筒鳥)」かも知れません。
山荘に続く小道には、白い花が雨に打たれていました。 「ミツバウツギ」と思われます。
終戦前、宮沢家も戦災を受け、転々とした後、杉皮葺きの屋根、荒壁、障子一重の窓、畳三畳半の山小屋に移り住んだのです。光太郎62歳、孤独な生活の始まりでした。
今の「山荘菜園」です。

先ず、記念館を見学しました。
ビール好きの光太郎は、月夜には、コップ2個にビールを注ぎ、亡き千恵子ともに味わったのだそうです。
このような館長さんのお話も実感がこもり、感動しました。

雨の中、裏山の「千恵子の展望台」から、遠く二本松方面を望みました。

亡き妻千恵子の幻をおいながら、自らの手で自らの生活を守り、真と善と美に生き抜こうとした高潔そのものの理想主義的な生活でした。この“山林孤棲”の日常から愛と美の結晶というべき作品が生まれていったのです
(案内リーフレット





その後、「円万寺観音」を訪れました。
眼下に広がる、地元で言う「いぐね(伊具根・家くね?)」の景色は圧巻でした。
冬の厳しい西風を防ぐための「防風林」だそうです。

セミナーは、お昼を少し回って解散になりました。
午後は、故人の自由行動…。遅い列車を取ってあったので、花巻市街賢治ゆかりの地を歩くことにしました。
雨でなければ、レンタサイクルで巡るつもりでしたが…。
地図を片手に、岩手軽便鉄道跡地を中心に歩き始めました。
「瀬川鉄橋跡地」から「イギリス海岸」へ…。
道を尋ねながら歩きましたが、知らない道は迷ってばかり…。随分、無駄足になりました。
「瀬川」の流路は、洪水対策のために賢治さんの頃とは替わっていました。
画像は、現在の瀬川が北上川に合流する地点です。

手前が瀬川、奥が北上川です。
雨で水は濁り、かなりの水量です。
削られた岸には、縞状の地層が見えます。右側、流路中に削られて残った「島」が見えます。
賢治さんが名づけた「イギリス海岸」と同じ、「泥岩層」と思われます。
この後、JR釜石線の似内駅近くを通り、国道4号線の下を潜り、雨の中をひたすら歩きました。
宮沢賢治記念館のある「胡四王山」がようやく近づいてきました。そのうちに道路標識に、「新幹線マーク」と「新花巻」駅の表示を見たときは、ほっとしました…。
そして、北上川にかかる「花巻大橋」を渡りました。橋下の川原で、ウグイスが「ホーホケキョ…」。
ようやく遠くに、新花巻の駅舎が目に入りました。
到着時刻は、なんと午後3時45分。
花巻、賢治さんゆかりの「藪屋」で昼食を食べ、出発したのが1時15分。
雨の中、不案内の道を2時間半、歩き通しでした。日頃歩かない者には、強行軍でした。疲れました。
それよりも、背中のザックの中は水浸し…。いただいた資料も、求めた本、『おもひで 光太郎 記念集』も…。
待合室で、広げて乾かしました。おかげで、忘れられない思い出になることでしょう。