「ミスミソウ」が咲き始めました。

元気よく咲いた「ミスミソウ(三角草)

「2月は逃げる」、「3月は去る」と言われるとおり、月日はたちまち過ぎ去ります。
今日はとうとう、4月・新年度を迎えてしまいました。新年度が始まったというのに、東日本大震災原発放射能が、頭に重くのしかかる毎日です。
画像、ミスミソウ(三角草)」の花が元気に開きました。
元気な草木から、生命力をいただきましょう。
今朝、佐久市6時の気温は、氷点下4.9度。相変わらず朝の冷え込み、それに乾燥注意報…。風邪の引き始めでしょうか、鼻の奥から喉のあたりがむずむずして不快です。

世界史でも有名な「オスマン軍艦の山越え」について、塩野七生:『コンスタンティノープルの陥落』(参照、カバー装画)で、叙述を拾ってみました。一部を引用します。
〜木製の軌道には、動物の脂がまんべんなく塗られる。車輪つきの荷台は、一対で組みにされ、その上には、海中から引きずりあげた船がのせられた。帆柱には、帆も張られる。ちょうど都合良くも、海から丘に向って風が吹いていた。そして、重量がどれくらいかわからないほど重いこれらの船をしばりつけた台は、左右に並んだ牛の群れに引かれ、船腹と船尾を多数の人間に押されて、坂になった軌道を、丘に向って移動し始めた。ガラタの丘の最も高い地点は、海抜六十メートルは充分にある。頂きに向って押しあげた船は、そこで漕ぎ手を乗せ、上り坂と同じようにつくられた下り坂の軌道を伝って、金角湾の中にすべりこむ仕かけになっていた。〜
先日、この目で見た情景と重ね合わせると、この奇想天外・大胆な戦略行動がリアリティーをもってきました。

『地図で訪ねる 歴史の舞台』、「オスマン艦隊の山越え」の絵です。
馬上で指揮をとるスルタン・メフメット(マホメッド)二世も描かれています。

イラスト地図には、山越えしたガラタの丘(現在の新市街地区)、ガラタ塔、金角湾口、往来止めの鎖の位置が示されています。

征服王」の名で呼ばれた、スルタン・メフメット二世だからこそ成し得た偉業と言えましょう。ビザンツ人に大きな衝撃を与え、攻撃開始から2か月近くたった5月29日、ついにビザンツ帝国は滅亡した。