「佐久の季節便り」、「陸羽132号」の稲穂も垂れて…。

玄関先の「インパチェンス」は、しっとり濡れています。

早朝、3時に0.5ミリほどの雨があったのです。

アメダス、最低気温は14.3度(4:19)、日中は、日照が無い予報です。

今年も、バケツ稲の「陸羽132号」・稲穂が稔りました。

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ご存知、宮沢賢治が奨励した、冷害に強い品種で、「賢治米」の名でも親しまれています。

今日は、宮沢賢治」が昭和8年に亡くなった命日で、花巻では、恒例の「賢治祭」が行われます。

「佐久・賢治を読む会」の9月例会では、辞世の歌とされる2首を、紹介しています。

◯方十里稗貫のみかも稲熟れてみ祭三日そらはれわたる。

◯病(いたつき)に「ゆゑにも朽ちんいのちなりみのりに棄てばうれしからまし。

「みのり」は、「御法」と「稔り」との掛詞になっています。

実弟宮沢静六さんの著作本・『兄のトランク』、から一部を引用します。

 九月十七日から十九日までは、花巻の氏神の祭りで、この年は津波はあったが大変な豊作で、天気もよかったので町には山車も沢山通っていた。最後の祭りの晩には、賢治も門の前に出て神輿の渡御をおがみ、その後で肥料の相談に来た農家の人と長く話し込んでいたが、そのためか次の日はひどい熱が出たのである。

 あまり苦しそうなので、私はその晩二階の兄のそばで寝むことにしたのだが「こんやの電燈は暗いなあ。」と言ったり、「この原稿はみなおまえにやるから、若し小さな本屋からでも出し度いところがあったら発表してもいい。」と言ったり、悲しいことを話したのであった。

 翌日の二十一日の昼ちかく、二階で「南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経」という高い兄の声がするので、家中の人たちが驚いて二階に集まると、喀血して顔は青ざめていたが合掌してお題目をとなえていた。

 父は「遺言することはないか。」と言い、賢治は方言で「国訳妙法蓮華経を一千部おつくり下さい。表紙は朱色。校正は北向氏、お経のうしろには、「私の生涯の仕事はこの経をあなたのお手もとに届け、そして其中にある仏意に触れて、あなたが無上道に入られますことを。」ということを書いて知己の方々にあげて下さい。」と言った。

 父はその通り紙に書いてそれを読んで聞かせてから、「お前も大した偉いものだ。後は何も言うことはないか。」と聞き、兄は、「後はまた起きてから書きます。」といってから、私どもの方を向いて「おれもとうとうお父さんにほめられた。」とうれしそうに笑ったのであった。

 それからすこし水を呑み、からだ中を自分でオキシフルをつけた脱脂綿でふいて、その綿をぼろっと落したときには、息を引きとっていた。九月二十一日午後一時三十分であった。

 午前中、小雨がそぼ降る中、お墓参りに出かけました。

田んぼや家の周りで集めた花々を、お供えしました。

オミナエシ(女郎花)」、「ハナトラノオ(花虎の尾)」、「ワレモコウ(吾亦紅)」、「フジバカマ(藤袴)」です。

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岩村田城址に行ってみると、「ノハラアザミ(野原薊)」が咲いていました。

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子どもの頃には、田んぼの土手にたくさんあり、兎の餌にとりました。

あんなにトゲがあるのに、兎は平気で食べたのが不思議でした。

「ナンンテンンハギ(南天萩)」は、花が終わり結実期に…、刈られた後に新芽が芽生えていました。

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雨は降ったり止んだりで、日照はありませんでした。

アメダス、最高気温は18.3度(10;49)でした。

明日から、花巻市に出かけますが、台風17号の進路が気がかりです。