「佐久の季節便り」、秋晴れ、「泡黄金菊」も咲いて「重陽の節句」…。

居間に降りて、温度計を見ると13度を示しています。

部屋の温度も、確実に下がり続けています。

相変わらず、「濃霧注意報」が出ています。

アメダス、最低気温は2.1度(5;52)、今朝も霜が降りました。

裏道わき花壇には、「泡黄金菊」が見頃rになってきました。

野紺菊(のこんぎく)」も咲いています。

今日は、旧暦九月九日・「重陽節句です。

『月と季節の暦』に、芭蕉の句が紹介されています。

早く咲け 九日も近し 菊の花 (芭蕉

読売新聞 編集手帳 引用します。

<一日ニ玄米四合ト味噌ト少しノ野菜ヲタベ>。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節は、戦前の日本人の食生活の一端を教えてくれる◆もっとも、その頃の軍隊では米と麦を合わせて1日6合を食べていたというから、男性としては少食だったとの指摘もある◆各地の新米を楽しめる季節になった。農林水産省の発表した今年の作況指数は「平年並み」の見通しという。食の多様化で、1人が1日に食べる米の量は賢治の時代よりもはるかに少なくなったとはいえ、お米が今¥も日本人にとって大切な主食であることは変わらない◆「雪の博士」として知られる物理学者の中谷宇吉郎が「米粒の中の仏さま」という随筆に書いている。祖母が「御米の粒の中には、一粒々々に仏様がいらっしゃる」と話していたこと、そして、妻は「米は粒々辛苦なものだから一粒も粗末にしてはいけない」と言われて育ったこと◆表現は違っても日本が決して豊かではなかった時代、お米を食べられるありがたさ、農家に感謝することの大切さを説いているのだろう。飽食の時代と言われて久しいが、その気持ちは忘れないようにしたい。

子どもの頃、小生は、「残さずに食べなさい。」「ご飯粒を粗末にすると、目が潰れる…」と、親に言われた記憶があります。

後期高齢者になっても、この教えは身についています。

 

午前中、佐久ケーブルテレビの取材がありました。

JR佐久平駅付近で、落葉高木「桂(かつら)」の黄葉を紹介しました。

 

一昨日に、採った「ピーマンの芽先」を、水に晒しました。

「佃煮」作りを、妻に頼みました。

午後は、庭の周りを片付け、「鉢花」の取り込みを進めましした。

夕方に野良回り、「第二賢治ガーデン」は、すっかり晩秋の佇まいでした。

「秋茱萸(あきぐみ)」のトピアリーは、賢治のハットなんですが…。

まだ、ハットする出来ではありませんね。

畑に回って、「玉葱苗」、植え付け後の様子を観ました。

順調のようで、一安心、八ヶ岳連峰」を望む佐久の高原に夕闇が迫ります。

上弦の月が、東の空高く昇っています。

 

NHK長野局テレビで、昨日の佐久平ハーフマラソンが放映されました。

アメダス、最高気温は20.0度(14:50)、秋晴れ、過ごしやすい一日でした。