早朝に、「二十六日」のお月様を見ました。

今日は、旧暦、十二月二十六日。今年も、あと4日を残すだけになりました。
「二十六日」月は、なかなかお目にかかれません。できたら、夜空に輝くお月様を見たいと願っていたためか、5時頃に目覚めました。
ほのかに月明かりが…。月の出時刻が、3:02(長野)ですから、晴れていれば見えるはずです。
画像、祈りが通じました。ほんのりと、うすい雲を照らしています。月齢は24.6(正午)

宮澤賢治の童話に、「二十六夜があります。原子朗:『宮澤賢治語彙辞典』から、解説を一部引用します。
〜「二十六夜講」という習俗を下敷きにしたもの。橋本勇によれば「盛岡の寺々では古くから二十六夜尊の信仰が盛んで、毎年旧暦の七月二十六日の夜、こうして月の出を待つ年寄りの講中のあるのを聞かされていた」とあり、実際、一九二一(大正一〇)年代に、二十六夜の月が三つに分れ、中央が仏体に、左が小さな仏像に、右が仏画に変わるのを見たという。〜

この画像は、一度、寝床に戻ってから、はたと思いついて、左に90度回転で撮ったものです。(5:31)
月が山の端に出たばかりの姿を、想定したかったからです。
童話、「二十六夜」の場合、二十六日の月から紫色のけむりのようなものが噴き出し、そこに「金色の立派な人が三人」現れるが、これは明らかに阿弥陀三尊のイメージであり、穂吉が阿弥陀三尊により西方極楽浄土に迎えられたと読み取ることは不自然ではない。〜


熊野にも「三体月」伝承があります。3体に見えるわけについては、急な冷え込みによって大気が乱れ、そのために光が屈折して見えるのだという説、また、「幻月(げんげつ)」なのではという説があります。
ともあれ、日頃あまり見かけないお月様の姿を仰ぎみると、浮世ばなれした神々しさを感じるものです。
朝には、うす雲がかかり、「昼の月」はあきらめました。
またまた、夜遅くから雪が降り始めました。今度も「上雪」です。
積もらなければいいですが…。