「尋ねまほしき園原へ…」出かけました。

紅葉した「ホウキギ(箒木)」(23.

今朝もかなり冷えました。秋晴れは今日まで…。
県歌、「信濃の国」に歌われた、下伊那郡阿智村園原が研修の地です。
園原の里は、平安文学に登場する名所です。
源氏物語」には、「はゝきゞ(帚木)」があります。
画像、同じ名前、庭の「ハハキギ(帚木)です。美しく紅葉し始めました。
「ははきぎ(帚木)」について、『広辞苑』の解説を一部引用します。
① ホウキグサの別称
② 信濃の園原にあって、遠くから見るとあるように見え、近く寄って見ると形が見えないという伝説の木。また、古今六帖の「その原や伏屋におふるーのありとて行けどあはぬ君かな」の歌などから、なさけがあるように見えて実のないこと、姿は見えるのに会えないこと。

(以下略)
園原を詠んだ最古の歌は、『新古今和歌集』(坂上是則
その原や伏屋に生ふるははき木の ありとはみえてあはぬ君かな
源氏物語』の帚木はこの歌をふまえたものです。
源氏物語』、源氏の歌は、「帚木の心を知らで 園原の             道にあやなくまどひぬるかな」
       空蝉の歌は、「数ならぬふせ屋に生ふる名             のうさに あるにもあらず消ゆる帚木」
冊子『古代 東山道を歩く』から、「ははき木」の解説を引用します。
ははき木はヒノキです。ありし日のははき木は根元の太さが周囲6メートル程あり、4メートル程の高さから複数の大きな幹に分かれ、その先がぼーっと草箒のような丸みを帯びた広がりをもっていました。残念ながら大正時代、片側の幹が折れ、残りの幹も昭和33年の台風で失われ、現在は根元近くの部分を残すのみです。

バスで、神坂(みさか)神社前まで登りました。境内には、樹齢2000年以上?の杉の巨木がありました。また、防人の歌の碑もありました。
 
ちはやぶる神の御坂に幣奉り斎ふ命は母父がため
開催当番郡市・下伊那からお土産にいただいた、碑文の拓本です。

家族を思いつつ幣奉り、祈りを捧げた防人の姿を彷彿とさせます。
「暮白の滝」、「朝日松」、「姿見の池」、「駒つなぎの桜」などを見学しながら「月見堂」まで山道をくだりました。

 
「姿見の池」は、姿が意外によく映りました。池の端に群生する、「アキノウナギツカミ」が昔を偲ばせてくれました。
最後に、「信濃比叡・根本中堂」を見学しました。
研修資料から、一部を引用します。
天台宗の開祖最澄が園原に、東山道最大の難所御坂峠越えを救済する「布施屋」を開いた所縁で、平成12年に総本山延暦寺より、「信濃比叡」の呼称が許可された。平成17年には、本堂建立、延暦寺根本中堂より、「不滅の法灯」も分灯されている。(以下略)