庭の「キクイモ(菊芋)」を掘り上げました。

縁側で日光浴の「サトイモ(里芋)」。

今朝はまた冷え込みました。
(夕刊、佐久市6時の気温は0.0度)
このところのお天気は、完全な日替わりです。
今日の最高気温は、9度(マイナス10度)と表示されました。空は冬晴れで、日差しもありました。
空には、「十月二十六日」の細い白いお月さまが浮かんでいました。
松の梢、小枝と一緒に撮りました。(10:57)

画像、サトイモ(里芋)」を縁側で日光浴…。防寒のために、そろそろ部屋に取り込みます。
芋で思いついて、庭先の「キクイモ(菊芋)」2株を掘り上げました。
意外に大きな塊(茎)でした。


庭先で9月に咲いた花です。
「キクイモモドキ」や「オオハンゴンソウ」「アラゲハンゴンソウ」など、近縁種の花と、見較べるために育てていました。田んぼでは雑草扱いで半分ほどに刈払うので、花も芋も大きくは育ちません。
興味深いことに、宮沢賢治は「キクイモ(菊芋)」を栽培していました。親友の保阪嘉内宛の書簡や、詩、(そもそも拙者ほんものの清教徒ならば)に、その名があります。一部を引用します。
〜(前略)
又草地を掘りかへして三年の間には一町歩も畑を作る。
この畑はみんな菊芋を作るつもりです。
〜(前略)
この荒れ畑の切り返しから
今日突然に湧き出した
三十キロでも利かないやうな
うすい黄いろのこの菊芋
あしたもきっとこれだけとれ、
更に三四の日を保する
このエルサレムアーティーチョーク
イヌリンを含み果糖を含み
亜細亜では生でたべ
ラテン種族は煮てたべる
古風な果蔬トピナムボー
さはさりながらこゝらでは
一人も交易の相手がなく
結局やっぱりはじめのやうに
拙者ひとりでたべるわけ
但しこれだけひといろでは
八月までに必らず病む
参って死んでしまっても
動機説では成功といふ
〜(以下略)
幕末に、日本へ持ち込まれた当時は飼料用作物。それがのちに食用やアルコール製造用の原料として広く栽培されるようになりました。食料や燃料が不足した第二次世界大戦前後にはさらに増産されました。
子どもの頃は、「ぶたいも(豚芋)」と呼ばれ、文字通り養豚の餌になりました。食糧難の時代だったので、味噌漬けで、食用にもされました。
その後、健康食品として注目されるようになりました。イヌリンが血糖値を下げ、腸内の善玉細菌を増やし、ダイエットにも役立つそうです。
食味は、あまりお勧めではありません。味噌漬けでいただくことにします。
ところで、宮沢賢治はどんな目的で大量栽培を考えたのでしょうか?食用のためではないことだけは確かのようですが…?
午後は冷たい季節風が吹き荒れました。
縁側に置いたままの「キウイフルーツ」は、種別、大小に撰果してから、納戸に保管しました。