「望月」で、月信仰を学びました。

「コブシ(辛夷)」の実も弾けて…。(2

二十四節気「白露」…。季節が一気に進みます。
どんより曇り空のもと、草原では、秋の虫が忙しく鳴き交わしています。
今日は、「月輪石巡礼紀行」の二日目、午後から参加します。
途中、「ひろば」に立ち寄って、仲間と短時間の打ち合わせをしました。
「月の会」との集合場所は、こまがた直売所。
近くの草原では、秋の虫「カンタン」が「ルルルルル…」と寂しげに鳴いています。
前の山のコブシ(辛夷)の実も弾け始めました。
最初の見学地は、「大伴神社」
旧暦、お盆の月遅れで行われる行事、「榊(さかき)」祭りで有名です。

今回は、中に掲げられている絵を見せていただくことが、一番の目的です。
神殿に入ると、壁面に大きな絵が掲げられています。

暗い部屋に,次第に目が慣れて、絵が見えてきました。
動物にまたがる武人は、「月読命」…?でも、よく分かりません。
文献研究から、事前に訪れて取材・研究された、志賀勝さんが説明して下さいました。

用意された「月輪石と月信仰史料」から、一部を引用します。
御形は馬に乗る男の形にして、紫の御衣を着、金作の太刀これを佩(は)きたまう
皇大神宮儀式寵、804年)
蒼海原を支配していた月読が、竜馬に乗り、四方の国々の河や溪を見まわり、千曲川を遡り、一奇岩の上に登り、金の弓矢を投げたところ、清水が湧き出した。そこで、この地に神殿を建てて鎮座した。この地を望月といい、その岩の上に月の御影が残ったので、その岩を月影石と名づけ、その地の湖を、月輪淵というと伝える。
(御牧望月大伴神社記 1714年)
絵の中に、上記の説明が読み取れるか…。参会者も熱心に探しました。
鱗や蛇腹が見えるから、やっぱり馬じゃなく「竜馬」なんだ…。

太刀は見えるか…?近寄って観ました。
なるほど極めつけは、「竜」が克明に描かれている。鍵爪もあるし…。

これで、十分に納得できます。
志賀さん曰く、「伝承は途絶えていたが、これは、貴重な発見です。」
次に、「岩清水」へ…。
月の神が降り立ったところとされる場所(大伴神社が創建されたところ)
ほ場整備のために、現在は岩も清水も見えません。

清水の名残りを見てから、更に「月輪(がつりん)寺」に向かいました。
本来、月輪石があった場所です。

建物が現存しているわけではなく、二十三夜塔や馬頭観音などが寄せ集められています。

今夜は、旧暦、八月十五夜・「中秋の名月です。
観望のために、御牧ヶ原に登り、「月の出」を待ちました。
月の出時刻は17:22(長野)。東の空に目を凝らし、冷たい風が吹く中で待ちました。


この画像を見て皆さん方が「やっぱりこれだ…」と、ひいき目に語り合いました。
待ちくたびれて、「月より団子」。お供えの月見団子をいただき、西瓜まで頬張りました。<月の会>「(東京)による月輪石巡礼紀行、仲間に入れていただいて、まさに「月のミステリー」を実感しました。
志賀さんはじめ「月の会」の皆さん、地元「まちづくり研究会」の皆さん、ありがとうございました。
信毎の記者、市民新聞の記者さんも、取材ありがとうございました。
これからもよろしく、「お月(付き)会いを…」。
竹内さんの名言です。
佐久市民にはもちろん、望月姓の方々にも、「お月さまの町・望月」を全国に発信していきましょう。
夜が更けて、「中秋の名月」が見えました。(21:58)

アメダス、最低気温は17.0度(5:40)、最高気温は21.9度(13:10)と、「白露」に相応しい一日になりました。