佐久市の名勝・「皎月原」を研修しました。

高台での「月待ち」

昨夜・「十六夜の月」、遅くまで粘りましたが、雲に阻まれて観れませんでした。
日付が今日・旧暦、「八月十七日」になると、空の雲が薄くなったようで、ほんのりとした真ん丸お月さま、満月に一番近いお月さまを観ることができました。(0:42)

「望・満月」の時刻4:05頃に、正真正銘の満月を観ようと、アラームで目覚め空を見ましたが、残念!!完全に曇っていて諦めました。
今朝も曇り空、土曜日なのに小学生が30分ほど早く登校していきます。
近くの小学校の運動会当日、日中の雨はなさそうで一安心…。
午前中は、資料などの片付け作業…。
午後は、昨日イベントの二日目に、途中で参加しました。
佐久市の名勝・「皎月原」、歌碑です。
むかしより かわらぬ影をうつしてや 月毛乃駒の跡のみちしば

 皎月原は、旧中山道沿い、小田井宿岩村田宿の中間にある。
松の木立のある草原は、古くから皎月の輪に関する伝説があって、記録にも残されており、中山道における著名な名勝とされている。

伝説によれば、用明天皇元年(586)、皎月という官女がおとがめをうけて、佐久郡の平尾へ流されてきた。いつも白馬を愛していた官女は、ある時小田井の原へ馬をひきだして乗りまわしていた。ところが天の竜馬だった白馬は空へかけ上り、東西南北をかけまわった後、平尾山の頂上に立ちとどまった。そこで官女は「われは唯人ではない。白山大権現だ」といって光を放って岩の中へ入ってしまった。その後、官女を白山大権現というようになった。
 その後も権現様は時々小田井の原へきて、馬の輪乗りをした。そのあとには草が生えなかったので、そこを皎月の輪とよぶようになったというのである。ほかに「村上家伝」の村上基国の伝説には、異説が載っているという。
 講師の志賀勝さんは、「望月の月の輪石、月読命の絵と並んで、佐久市小田井の皎月・月の女神が、両者とも馬が関わっていることが興味深い…」と、話されました。
地元に住む人間として、人々の「月信仰」、中央から地方への広がりとその後の変遷…。
詳しく知りたい内容です。
孫娘の運動会も、降らないうちに終わり、大まんぞう・思い出になることでしょう。
夕方、蒸し暑く今にも降りそうな中を、野良回り…。
「景観保全作物水田」の土手一直線に、「ツリガネニンジン(釣り鐘人参)」の種子を播いてもらいました。
「山で美味いは、オケラにとトトキ。」山菜の王様・「ととき」は、やはり野菜の育て方は馴染まないようです。

秋植えとして、「タチアオイ立葵)」、ピンクと白、2種の「シュウメイギク秋明菊)」、「野イチゴ」、「シモバシラ(霜柱)」を定植しました。
作業中に、雨が降り始めました。
雨量は、本日中に23ミリ(夜8時には14ミリの大降り)でした。
アメダス、最低気温は16.8度(5:30)、最高気温は25.9度(13:20)、だいぶ涼しくなりました。