春の雨、夕方には雪に…。

ポイント予報は、春の雪か?

寝床で雨音を聞き、雪でなくて一安心…。
ガスヒーターは7度を表示、冷え込みは緩んだようです。
アメダス、最低気温は3.4度(5:40)、今にも降りそうなお天気です。
太平洋に低気圧により内陸地方は「雪」、いわゆる「上雪(かみゆき)」の予報…。

佐久地方には、「大雪注意報」と「着雪注意報」が出されました。
春雨に濡れた「クロッカス」は、花びらを閉じたまま、面白いです。

通院日、小雨が煙り寒いので、自転車でなく軽トラで出かけました。
待合室で、「今日は寒いので空いてると思ったけど…」女性たちの会話が耳に、小生も同感…。
待ち時間には、文庫本『教師 宮沢賢治のしごと』(畑山博)を読んでいました。
午後は、ネット予約で借りた(臼田図書館所蔵)、『漁師さんの森作り 森は海の恋人』(畠山重篤を読みました。
先日、「プロフェッショナル 仕事の流儀」と、読売新聞特集・「空想書店」で紹介された本であり、内容です。

この本の内容は、小中学校の教科書にも載っているそうです。
♦プロローグ 引用します。
 一九八九年九月、はるかに海を見おろす室根山(岩手県)に色とりどりの大漁旗がはためいていました。
 山に大漁旗だなんて、ふしぎに思いませんか。旗の下では、日に焼けた顔に、はちまき姿の男たちが、なれない手つきで木の苗を植えているのです。しかも、ブナ、ミズナラ、ミズキなどの落葉広葉樹です。「森は海の恋人」と書かれた、たれまくもはられていました。

 この人たちは、三陸リアス式海岸の静かな入り江、気仙沼湾でカキの養殖をしている漁師さんたちだったのです。
 わたしもその中のひとりです。
 海から遠くはなれた山に、なぜ漁師さんたちが木を植えはじめたのでしょう。
 森と海とはどんなつながりがあるのでしょうか。
 これは三陸リアスの海辺からはじまり、全国にその輪がひろがっている漁師さんたちの森づくりのお話です。
 魚や貝はじめ、動植物の絵(カナヨ・スギヤマ)が添えられて、子どもが楽しく読める本です。
 あとがきに、一九九六年、毎日小学生新聞に「森は海の恋人」のタイトルで三十回ほど連載した…がありました。
テレビ、新聞、本…、メディアでもつながり合い、相乗的に理解が深まります。
新聞で、畠山重篤さんの記事が12日に出てから3日後の15日に、三男・畠山信(まこと)さんの記事が載りました。一部を引用します。
 防潮堤を造らず
 2011年夏、気仙沼市震災復興委員会の委員になった。委員会で、宮城県からの防潮堤建設についてのファクスを見せられ、驚いた。海抜9・9メートルのコンクリートの壁を造る計画だった。ちょうど舞根集落では、高台移転について話し合われていた。高台に移転する予定だった35軒が一致して防潮堤は不要、と決めた。(中略)
 この景色が好きだから高台に移転し、この集落から離れないのだ、コンクリートの壁ができればその美しさに傷がつく、というのがその理由。南三陸陸前高田など平地が広い所と、山にへばりついているような集落を混同して考え、一律に防潮堤を造るという方針を出すのはおかしい。(中略)
 壁を造ると海が見えなくなり、津波を察知できない。海が身近でなくなる。水の力を知らない子どもが増える。自然を知らなければ何が危ないか、安全か、判断できない。(後略)

 気仙沼を訪れたのは、もう20年も前のこと、東山町で賢治学会のセミナーに参加した時のことです。
 大船渡線陸中松川駅まで行くなら、600キロメートル超えの気仙沼まで購入した方が、乗車券が4割引きになりお得と教えられたことによります。
 室根山の植林・「森は海の恋人」について、現地で実感したり、漁港の周囲を案内してもらったり、貴重な体験になりました。
 震災後の気仙沼も、是非訪れたいと思っています。

 夕方頃から、雨が雪に変わり、地面が白くなり始めました。
 「乾燥注意報」、乾ききった地面にはありがたいお湿りになりました。
 アメダス、降水量は10ミリ(12時から19時まで)ほどになりました。
 アメダス、最高気温は4.9度(11時)、寒い一日でした。