「大寒」、常緑・広葉樹・「ビワ(枇杷)」は健在…。

『北海道 花暦』1月20日は白菜。

二十四節気大寒寒さの底の季節を迎えました。
天気が変わる兆しで、冷え込みはやや緩んだようです。
アメダス、最低気温は氷点下4.4度(4:55)、日中の気温は上がる予報です。
野菜の高値が、盛んに報じられています。
スーパーのチラシには、白菜は四分の一カット…、1玉1000円では手が出ないとう言うわけです。
人気の本・『9割の栄養捨ててます』には、お得な食べ方が載っています。

中心部こそ、白菜パワーのカギ!
この部分の栄養を逃さないためには、生長点の働きを止めること…。
台所の白菜を見たら、妻によって、芯の部分がくり抜かれています。
なるほど、そういうものなんだそうです。
宮沢賢治は、当時はまだ珍しかった「白菜づくり」に苦心しました。
宮沢賢治記念館通信』、宮沢賢治は、なぜ白菜を栽培したのか?
舘野廣幸さんの文を、一部引用します。
大正14年には純系の品種「松島純一〜三号」を育成します。大正期の先代は白菜の最先端の地でもあったのです。
 さて、この頃の宮沢賢治の作品には、白菜が何回も登場します。

「増水」
島になって残った松の下の草地と
白菜ばたけをかこんでゐる

水はすでに
この秋のわが糧を奪ひたるか

「白菜畑」
こんなつめたい空気のなかで
千の芝罘白菜は
はじけるまでの砲弾になり
包頭連の七百は
立派なパンの形になった

[盗まれた白菜の根へ]
盗まれた白菜の根へ
一つに一つ萱穂を挿して
それが日本主義なのか

1926年(大正15年)は、賢治が羅須地人協会を立ち上げた年であり、その最初に作付けされた白菜は賢治にとって重要な野菜であったことが窺えます。この賢治の意気の入った白菜は、おそらく8月上旬に播種され発芽したばかりだと思いますが、北上川の洪水に遭い賢治は消沈してしまします。ところが、白菜は災害を乗り越えて10月には立派に育っています。「白菜畑」では朝の冷気の中で収穫の時期に膨らむ賢治の心境が描かれています。しかし、喜びも束の間その白菜が何者かに盗まれてしまいます。自然災害を乗り越えた白菜であっただけに、この盗難という人災に怒りと悔しさを噛みしめて畑を見つめる賢治の姿があります。(以下略)

これが「大寒」のお天気?予報通り、暖かくなりました。
「ひろば」は、暖かさに誘われた家族連れでお賑わい…。
ぐるっと、冬越し中の草木の様子を観て回りました。
耐寒性が懸念された「ビワ(枇杷)」葉は、健在です。

「紅梅」、「竜峡小梅」、「馬酔木」の蕾が膨らんでいます。
「接骨木」、「栃」、「朴」の冬芽も膨らんで…。
彼岸花」の葉も、寒さに負けずにいます。
「三椏」の蕾は首を垂れていますが、大丈夫。
賢治ゆかり・「石鳥谷ヤマナシ」、「大山桜」も花芽を着けています。
シラカシ(白樫)」の株元に、可愛いどんぐりがばら撒かれています。

数十本中、数本が、初めて実を着けたのです。
今年は、もっと増えるだろうな。
オリエンテーリング」で、どんぐり拾いの指定場所にしましょう。
クヌギ(櫟)」の木やその実・どんぐりとの違いに、着目させてもよさそう…。
続いて、久しぶりの野良回り、U字溝付け替え工事は完成していました。
タマネギ苗は、先が茶色に枯れていますが、これは問題なし。
下のプルーン畑では、剪定作業が始まっていました。
今夕、「臘月四日」のお月さま、西空に、船のように横になって浮かんで…。
アメダス、最高気温は9.1度(14:17)、春のようでした。