「佐久の季節便り」、「寒中の雨」、心配な異常気象、世界情勢…。

朝、7時のラジオで、「イランが、イラクアメリカ基地に、弾道ミサイル攻撃…」

「とうとう始まったか…」、屋根の雨音が、陰鬱な気分をいやが上にも増します。

でも外に出ると、雨降りではなく、昨夜の雪が溶け落ちる音でした。

アメダス、最低気温は0.0度(2:04)、午前中は雨予報です。

庭先の「ハコベ、蕾も見え、春が来たように生育しています。

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植物図鑑を開いてみました。

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「賢治を読む会」・1月例会に出かけるころには、雨降りになりました。

「寒中」に春の雨、これは異常天候としか言いようがありません。

司会者・開会の言葉でも、温暖化による異常気象が問題にされました。

今日、読んだ作品は、「楢ノ木大学士の野宿」第三夜です。

用意した資料の一部を、記します。

『図説 宮沢賢治 賢治と地質学』より

 第三夜は、タイムトンネルのような洞穴に野宿して、恐竜’「カミナリ竜」に食われそうになる夢をみる。当時、日本には地質時代に恐竜が生息していたというはっきりした証拠がなかった。賢治は童話の中で、見事な予言をした。大学士が恐竜にくわれそうになった場所が海岸で、しかも中生代の白堊紀という時代だった。賢治の没後四十五年たった一九七八年(昭和五十三)に、北上山地で日本ではじめての恐竜の化石が発見された。日本にも地質時代に恐竜がすんんでいったことの直接の証拠となる大発見であった。この化石は、岩泉町の茂師海岸の白堊紀の地層で発見され、「モシ竜」と名づけられた。賢治は実に、一億年ぐらいまでさかのぼって、正確な夢をみることができた稀な才能の持ち主だった。

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昨年の12月、中村哲医師が凶弾に倒れました。

中村医師が、かつて宮沢賢治学会・イーハトーブをを受けていた情報を得て、資料を探しました。

探し当てた、2004年発行の『会報』29号から、内容を紹介しました。

中村 哲氏の業績について

 中村哲氏は、一九四八年にパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任、以来ハンセン病のコントロール計画を柱にした医療活動に従事。八六年にはアフガン難民のために医療チームを設立。長期的展望に立ったアフガニスタン難民地区での診療活動を実践し、アフガン東部山岳地帯に三つの診療所を設立。九八年に基地病院をペシャワールに建設。二〇〇一年にはアフガニスタンの首都カブールに五カ所の臨時診療所を設け、主に貧困地区の患者の無料診療を行う一方、空爆下の国内避難民への緊急食糧配給の実施、大旱魃に見舞われた民衆生活の再建と安全確保のために、井戸と水路の掘削と復旧にも従事する。現地からのレポートを中心とした著作も多数あり、激動する国際情勢や自然災害の下にあってなお揺るぎなく実践活動を重ねるにあたっての、世界と人間性に対する洞察に満ちた認識と知恵が示されており、民衆とともにあるその姿と滲みでる匕ューモアには、宮沢賢治の精神に通うものがある。

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会員から、2冊の著作本をお借りしました。

じっくり目を通ささせていただきます。

花巻市で行われた宮沢賢治学会イーハトーブ賞授賞式において、欠席した中村医師に代わり出席した福元広報担当理事によって代読されました。(一部を引用します)

  イーハトーブ賞(宮沢賢治学会主催)受賞に寄せて

 わが内なるゴーシュ 愚直さが踏みとどまらせた現地

みなさん、お元気でしょうか。まず授賞式に出席出来なかったことを深くお詫び申し上げます。(中略)

小生が特別にこの賞を光栄に思うのには訳があります。

この土地で「なぜ20年も働いてきたのか。その原動力は何か」と、しばしば人に尋ねられます。人類愛というのも面映いし、道楽だと呼ぶのは余りにも露悪的だし、自分にさしたる信念や宗教的信仰がある訳でもありません。良く分からないのです。でも返答に窮したときに思い出すのは、賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の話です。セロの練習という、自分のやりたいことがあるのに、次々と動物たちが現れて邪魔をする。仕方なく相手をしているうちに、とうとう演奏会の日になってしまう。てっきり楽長に叱られると思ったら、意外にも賞賛を受ける。私の過去20年も同様でした。決して自らの信念を貫いたのではありません。専門医として腕を磨いたり、好きな昆虫観察や登山を続けたり、日本でやりたいことが沢山ありました。それに、現地に赴く機縁からして、登山や虫などへの興味でした。(中略)

よくよく考えれば、どこに居ても、思いどおりに事が運ぶ人生はありません。予期せぬことが多く、「こんな筈ではなかった」と思うことの方が普通です。賢治の描くゴーシュは、欠点や美点、醜さや気高さを併せ持つ普通の人が、いかに与えられた時間を生き抜くか、示唆に富んでいます。遭遇する全ての状況がー古くさい言い回しをすればー

天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が、すなわち私たちの人生そのものである。その中で、これだけは人として最低限守るべきものは何か、伝えてくれるような気がします。それゆえ、ゴーシュの姿が自分と重なって仕方ありません。

私たちは、現地活動を決して流行りの「国際協力だとは思っていません。自分のごとき者が賞賛の的になるなら、他にも…と心底思います。しかし、この思いも「イーハトーブ」の世界を心に刻んだ者なら、「この中で、馬鹿で、まるでなってなくて、頭のつぶれたような奴が一番偉いんだ)どんぐりと山猫」)という言葉に慰められ、一人の普通の日本人として、素直に受賞を喜ぶものであります。

どうもありがとうございました。

 

読書会が終わり玄関を出ると、雨は上がって日が燦々と、春のような陽気にびっくり…。

アメダス、最高気温は15.9度(13:30)、4月中旬並の気温です。

雨量は、トータル5.5ミリ、内訳は、0.5ミリ(9時)、2.5(10)、2.5(11)でした。

夕方には、佐久地方に「強風注意報」が出ました。

夜が更けて「十四日」のお月さまは、雲行きの速い雲間に出たり入ったりでした。