早朝のラジオ「マイあさ便り」は、渋川からの話題でした。
「今の様子はどうですか?」の問いかけに、「お月さまが明るく輝いて、寒いです。…」と答えて始まり、興味深いお話しでした。
「富岡製糸場の女工さんたちは、伊香保温泉に来て、入浴を楽しんでいました。」
「皆さんが思う、ああ野麦峠の女工さんのようなことは、ありません…。」
朝、北の窓を開けると、浅間連峰には、真っ黒な雪雲がかかっています。
日本海側から、冷たい風が吹き込んでいるのです。
アメダス、最低気温は3.9度(0:08)、日が差しても、気温は上がらない予報です。
お月さまを見ようと、外に出て西空に目を凝らしました。
「柿の枝」に日が差し始め、「十九夜待」のお月さま(月の出時刻:昨夜19:21)が浮かんでいました。
昔は、女性たちの「月待ち行事」として、盛んに行われていました。
「十九夜」塔に、細々とその名残が伺い知れます。
西念寺に移された、「十九夜」塔には、今も参拝に訪れる人がいるそうです。
読売新聞一面に、「復興の願い一つずつ」が、写真入りで載りました。
『柿づくし』で、干し柿「ころ柿」を調べてみました。
2 干し柿の種類と品種 引用します。
ころ柿ー市田柿、鶴の子、法連坊など
ころ柿は「枯露柿」「古老柿」などと書かれることがありますが、いずれもおよそ元の水分の7割くらいが飛んだ、より乾燥が進んで肉が締まった弾力のある干し柿です。
(以下略)
ネット検索すると、丸森町の「ころ柿」作りの柿の品酒は、「蜂屋柿」のようです。
「蜂屋柿」は、今年、我が家では8分割・干し柿にしました。
もちろん、保存性を優先し、弾力は犠牲にしています。
今日、水曜日は「移動図書館車・草笛号」の巡回日です。
外は寒く、夜長の冬には読書が一番…、藤沢周平:『義民が駆ける』、葉室 麟:『玄鳥さりて』、俵 万智 立松和平:『新・おくのほそ道』など5冊借りました。
テレビは、昨夜に行われた、長野の花火・「えびす講煙火大会」が放映されました。
今年、第115回を数える、伝統的な花火大会で、私にとっても懐かしい花火です。
母の実家が長野市で、小学生3年生だった私は、「えびす講の花火」を実際に見たのです。
戦後・昭和21年、父の実家・佐久に引っ越したその年のことでした。
子どもには分かりませんでしたが、母は、子どもたちに、有名な花火を見せたかったのかも知れません…。
当然、その夜は長野の家で泊まることになりました。
翌朝は早起きして、信越線に乗るために、小1時間ほど、長野駅まで歩きました。
長野電鉄はまだ動かない早朝で、道中の寒かったことだけが、思い出されます。
終戦後、楽しみのまったくなかった時代のこと、せめてもの親心か…、80年も前のことが思い出されて、今でも目頭が熱くなるのです。
その後は長野市在住が、学生時代を含めて8年間、そのうち何回かは「えびす講の花火」を見ました。
もう、実際に見ることはないでしょう。
代わりに、わが町の「西宮神社」をお参りすることで、我慢します。
アメダス、最高気温は104度(13:10)、冷たい風が吹き荒れて、寒い一日でした。
最大風速は、西南西の風5.7メートル(7:50)でした。