寝苦しい夜でした。
起きると、「濃霧注注意報」が出て曇り空です。
アメダス、最低気温は21.9度'4:02)、「曇り時々晴れ、所によっては雨…」の予報です。
今朝は、涼しいうちにと、朝飯前の野良回りでした。
軽トラに「給水タンク」を乗せて、万全の「熱中症対策」です。
先ず、埋まりかけた「排水溝」の泥上げ作業…。
せりに、「黄揚羽(きあげは)」の幼虫を見つけました。
家に持ち帰り、飼育することにしました。
8時を回ると、日が差し始め、熱くなりました。
作業時間1時間20分ほほどで、切り上げました。
野良土産は、「草夾竹桃(くさきょうちくとう)」の切り花です。
帰宅してから、花を改めて写真に撮りました。
独特な甘い顔り…、「盆花」の代表種種のことだけはあります。
朝食後は、外仕事は敬遠、休みながらの読書三昧…。
「らんまん」・牧野富太郎の評伝のような内容です。
「岩村田ヒカリゴケ産地」・「国の天然記念物」指定に尽力された、三好学教授も登場…。
〜三好学教授との共著で「日本高山植物図譜」も出しました。
三好学教授との共編『普通植物検索表』については、次のような記述があります。
ー小学校の理科の授業で植物について教えようにも、教師自身が植物の名前をよく知らぬのが実情だ。ゆえに子供たちを校外観察に連れ出しても、正しく教えることができぬ。簡易なる植物検索表を編纂し、形状を携帯できるものにすべし。
文部省はこの提言を受け、三好学と富太郎に編纂を委嘱したおである。
三好学教樹の肖像、ネット検索でお借りします。
「岩村田ヒカリゴケ産地」、「国の天然記念物」指定について、ウィキペディアを一部引用します。
三好は1812年(大正元年)10月初旬にはじめて岩村田の現地を訪れヒカリゴケの生育状況を確認し、翌1913年(大正2年)6月には紀州徳川家当主で貴族院議員、史跡名勝天然記念物保存協会会長でもあった徳川頼倫とともに再度、岩村田の現地を訪れ視察、調査を行なっており、1919年(大正8年)に史跡名勝天然記念物保存法が制定された後、岩村田光蘚産地として、1921年(大正10年)3月3日に首の天然記念物に指定された。なお、天然記念物は旧内務省の保管であったがm1928年(昭和3年)に文部省に移管され、同年9月6日に文部省により岩村田の生育地の現状視察が行われ、ヒカリゴケの保存状況および生育状況は良好であったという。
現在の状況については、
佐久市教育委員会の文化振興課文化財保護事務所 UEVC(上ノ城環境ボランティアクラブ)
管理や保護などについて、後日に投稿します。
夕方、6時を回って日差しが弱まってから、畑の手入れに…。
トマトや茄子、ピーマンの支柱立て、ネギの除草・施肥・土寄せ…。