「佐久の季節便り」、「砂山」の「茱萸原(ぐみわら)」は、「秋茱萸(あきぐみ)」か?

風もなくすっきり晴れました。

今朝も冷え込んで、強い霜が降りました。

アメダス、最低気温は氷点下2.4度(6:38)、日中は、「曇り、時々晴れ」の予報です。

昨夜のポイント予報、佐久市は0度でしたから、今朝も予報より低温でした。

読売新聞 編集手帳 引用します。

ゴボウという植物はアザミに似ていて、とげとげした見た目の花を咲かせる。そんな容姿からか、「私にさわらないで」と近寄りがたい花言葉が付けられている◆スーパーの野菜売り場が少し前まで、近寄りがたい雰囲気になっていたかもしれない。異常な暑さで不作が続き、数ある野菜が軒並み高値になった。なかでもネギは何倍にもはね上がり、焼き鳥の品書きから「ねぎま」を消した飲食店もあると聞く◆青果売り場を通りかかると、東北産の立派に育った長ネギが1本120円で売られていた。平年値に近いところまで戻ったらしい◆季節外れの陽気から一転、今週はコートがいるほどの寒さに見舞われた。東京では3年ぶりに木枯らし1号が吹いた。寒々しくも物価対策が政府の課題になるおり、畑の作物は暮らしの味方になってくれそうである。きのう発表された農水省の調査によると、ハクサイ、ダイコン、トマトなどが値を下げていた◆海に出て木枯帰るところなし(山口誓子)。自然や街の景色も、次第に冬のどこかさみしい装いになるのだろう。家族や友人と囲む鍋料理に温めてもらう季節になった。

社会面に めぐみさん帰国願い歌う 拉致46年、母校で音楽集会 一部、引用します。

 新潟市横田めぐみさん(当時13歳)が北朝鮮に拉致されてから15日で46年になるのを前に、母校の市立新潟小学校で14日、めぐみさんの帰国を願う音楽集会が開かれた。(中略)

 めぐみさんは中学生だった1977年11月15日、下校途中に北朝鮮工作員に連れ去られた。同翔は拉致問題を忘れないため、約10年前から集会を開いている。

 

今でも歌われる、有名な「砂山」は、北原白秋の作詞です。

 当時、白秋は、新潟市の学校で、講演を済ませた後、近くの「寄居浜」を散策しました。

夕暮れ迫る、寄居浜の砂山で、作詞が構想された…、と、聞いています。

めぐみさんにとっても、何度も足を運んだ、懐かしい砂浜と思われます。

3番「帰ろ帰ろよ、茱萸原(ぐみわら)分けて…」

この茱萸原」・茱萸の種は、「秋茱萸(あきぐみ)」だろうと、確信しています。

季節や、砂山の植栽・植生などを考慮すると、きっと、そうだろうと考えるのです。

当時は、秋ではないので、赤い実は無かったと思われます。

晩秋の今、「第二賢治ガーデン」では、赤い実を着けた「秋茱萸が歓迎してくれています。

「砂山」を口ずさみながら、遥か「寄居浜」に想いを回らしています。

日中、風も無く暖かくなりました。

鉢植えのサフランが咲き始めています。

ベランダに出して、淡い日に当てました。

今日は、旧暦:十月三日。

旧暦:十月の異称は「小春(こはる)ですから、「小春日和」の走りというところでしょうか。

そして、夕方は、期待の「三日月🌙」です。

ところが、残念、見逃してしまいました。

2階のベランダに上がっても、西空は真っ暗で月は見えませんでした。

大相撲をテレビ観戦していて、気づいた時は17:40過ぎ…。

偶然にも、月の入り時刻17:41(長野)だったのです。

月齢1.7(正午)、若い三日月だったので、日の入り時刻16:39(長野)で、時間差が1時間もありませんでした。

というわけで、観望の条件は厳しかったのです。

 

アメダス、最高気温は12.5度(14:16)、日中は凌ぎやすかったです。