「佐久の季節便り」、「佐久市立移動図書館車」・「草笛号」が巡回し… 。

天気が変わる兆しか、空には雲が広がっています。

アメダス、最低気温は氷点下6,2度(6:12)、日照は少ないが、気温は上がる予報です。

昨夜に出た「十九日の月🌗」・「更待ち月」の残月は、雲が広がり観られませんでした。「

絵本『モチモチの木』の主人公「豆太」が夜中に観る「霜月二十日」の月から、一カ月

後の「師走二十日」のでした。

今日、「草笛号」から借りた大活字本『十力の金剛石』に、「烏の北斗七星」が収録されています。

 とうとう薄い鋼の空に、ピチリと裂罅(ひび)がはいって、まっ二つに開き、その裂け目から、あやしい長い腕がたくさんぶら下がって、烏を握んで空の天井の向こう側へ持って行こうとします。烏の義勇艦隊はもう総がかりです。みんな急いで黒い股引きをはいて一生けんめい宙をかけめぐります。兄貴の烏も弟をかばう暇がなく、恋人同志もたびたびひどくぶっつかり合います。

 いや、ちがいました。

 そうじゃありません。

 月が出たのです。青いひしげた二十日の月が、東の山から泣いて登ってきたのです。そこで烏の軍隊はもうすっかり安心してしまいました。

宮沢賢治ハンドブック』に、解説があります。(鈴木健司

 「空の裂け目」の出現を月の出と勘違いする背景には、「赤い歪形」という、心に「不安」を生ませる「月」の存在があったと指摘できよう。それが賢治の心象現象としての「空の裂け目」を引き寄せたのである。

『栗山ノート』には、『易経(えききょう)』からの引用がありました。

霜を踏みて堅氷至る

 寒さが増して霜の張った道を歩くようになると、そろそろ堅い氷の張る季節がやってくるなと予想が立つ。物事には予兆があり、それを見逃さないで対処するべきだ、というのが本来の意味でしょう。

 言い方を変えれば、例外を作らないということになります。今日は疲れているからとか、明日のほうが時間があるからと、仕事や雑務を後回しにしてはいけません。

萌(きざ)しと兆し

 第1章で『易経』から「霜を踏みて堅氷至る」の一文を引きました。兆しを見落とさない大切さとして理解していますが、『易経』には、「萌」と「兆し」についての記述があります。

「萌し」は風が春めいて気温が上がっているとか、花のつぼみが膨らんできたといった、分かりやすい変化を指します。一方の「兆し」は、もう少し曖昧なニュアンスです。「最近ちょっと空気が冷たくなってきたとか」「これから天気が悪くなりそうだな」といった私たちの肌ざわりのようなものです。明確な根拠はないし、目に見えるものではないけれど、何となく感じられる変化、とでも言えるでしょうか。

これらの教えが、野球監督として、念頭に置かれていたものと思われます。

 

庭先の陽だまりで、「臘梅・蝋梅」の花が、ようやく綻びかけています。

旧暦・「十二月」の異称である「臘月(ろうげつ)」に咲く花…。

この説が気に入っています。

旧暦の十二月は、残り10日となりました。

今年中には、開いて欲しいです。

午後は、雲が広がってきました。

アメダス、最高気温は12.0度(14:46)、二桁の気温になり、春の陽気でした。