文月九日(上弦)。曇り勝ち、蒸し暑くなりました。

yatsugatake2005-08-13

8月13日といえば、「月遅れのお盆」の入りです。
そして60年前の今日、長野市が大空襲を受けたのでした。
毎年お盆には、長野の母の実家に行きます。その日も家族そろって出かけていたのでした。
お昼頃だったでしょうか。空襲警報が鳴って、皆が庭先に掘った防空壕に急ぎ飛び込みました。危機感も恐怖感もありません。ただそうするものと、大人に言われるままに行動したのです。祖父は、運命をともにするとか部屋に残ったと、壕内で聞きました。庭の物干しに、2歳の弟のお湿めが干してありました。「目標になるから、すぐしまえ!!」だれかか叫びました。母が、外に出てしまいました。お湿が、高い空から見えるんかな?お母さん、早く戻って…。子どもながらに、思いました。どのくらい経ったでしょう。警報が解除されました。
長野駅の方向が、もうもうと煙に包まれています。いつもは素通しに見えている駅の給水タンク(蒸気機関車用)が見えません。私の大好きな駅と汽車がやられてしまったらしい。
そんなことより、危ないからすぐに長野を離れ、家に帰れということになりました。従姉妹たちも一緒に行くことになり、ダダをこねて泣き叫んでいました。
当然、電車は動きません。危ないので、夜間に歩いて行くのです。須坂のさらに山の方へ…。
黙々歩きました。道々の家は灯火管制で、ひっそりとしています。須坂からタクシーに乗せてやるよ…の声にだまされて歩きました。何時に着いたかは、覚えていません。夜遅くに着いたことは確かです。
これが、私にとってその日の戦争の実害です。
後で知ったことですが、長野駅周辺では40数名が亡くなりました。工機部の建物が倒れ、赤さびた車両が多数、いつまでも放置されたままだったことを覚えています。

長野付近の迎え盆は、シラカバの皮(かんば)を焚いて、ご先祖様を迎えます。黒い煙を上げ、じりじりと油が朱色の炎を上げて燃えます。香ばしい香りがあたりに漂います。
○十年も前の体験が、不思議と体に染み付いていて思い出されるのです。
今日も、シラカバの樹の白い肌を見上げて、「迎え盆の明かり」をまぶたに浮かべました。

今夜は宵の口から、「上弦」のお月様が南の空に見えました。