「大震災3年」当時を偲びました。

「東日本大震災」3年。テレビ画像。(2

3月10日の「東京大空襲」、3月11日は「東日本大震災
どちらも、今、生きている日本人にとって、絶対忘れてはならない日です。
画像は、今朝7時のテレビ画像です。

人知を超えた信じられない…、押し寄せる「大津波(名取市)です。

厳粛な追悼の気持ちで、一日を過ごそうと胸に誓い、午前中から「ひろば」に出かけました。
植栽地の土作りの準備です。重機で、凍結した地面を掘り起こしてもらいました。

「ひろば」の向こうを、長野新幹線「あさま」が通過して行きます。

快晴、穏やかな日差しの中、白銀の浅間が迫ります。

1000人でかかっても太刀打ちできない威力に、さすがは重機…と、頭が下がりました。
3年前の日のブログを、改めて開いてみました。一部を引用します。
その日のブログ、タイトルは東北地方太平洋沖地震」発生
〜予報通り、次第に曇ってきました。
午後には、気温が下がり雪が舞い始めました。
寒風の吹き荒ぶ中、ケーブルテレビの配線工事(家庭に引き込み線設置)です。
地震が起きたのは、工事が終わり、玄関先で確認書類に目を通している時のことでした。
今までに経験したことのない揺れ…、長くゆっくりしたもの(周期)で、身の危険を感じました。
点いたままのテレビで、佐久市震度5弱と知りました。
その後、大津波の発生が放映されると、その猛威にただただ圧倒されました。
マグニチュード8.8(後に9.0と訂正発表)という、明治時代からの観測史上最大だそうです。
地震災害が他人事ではないこと、今日の体験で身にしみました。
被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます
千葉や大阪の弟妹から、安否確認の電話が入りました。
ケーブルテレビ、配線関係の器機、今日、3年後の姿です。
東の空に「如月十一日」の月が昇り、同じ視野に入りました。


今日のアメダス、最低気温は氷点下9.3度(6:30)、最高気温は4.9度(16時)。
明日も、気温が上がる予報…。
冬越し中の「レンゲソウ(蓮華草)」の苗が、重い雪の下に埋もれています。
助けてやりたいです。雪融けが進むことを切に願います。
夜のラジオ、「歌で震災3年を振り返る」に耳を傾けました。
歌の力を感じました。昨夜のテレビ画面、西田敏行と中学生による「花は咲く」です。