12月3日は、「カレンダーの日」…?

早朝、半開きの「金盞花・カレンデュラ

ラジオ、「今日は何の日」で、「カレンダーの日」と、告げられました。
少し前から「金盞花・カレンデュラ」の「カレンダー」由来(説)に関心がありました。
花が、どの月のはじめ(ついたち)にも咲いている…、花期が長いということからです。
なぜ、12月3日が「カレンダーの日」なのか…。疑問が残りました。
窓を開けると外は冬景色…、やっぱり浅間連峰は雪雲に覆われています。(6:57)

階下に降り、台所出窓のカレンデュラ」のポットを観ました。
朝なので、花は半開きです。(7:39)
偶然にも昨日、近くの花屋さんで求めた物です。
しばらくすると、花が開き始めました。

向きを変えて、日光を透かして観ました。

「カレンダーの日」について、本で調べてみました。引用します。
全国団扇扇子カレンダー協議会が1982(昭和62)年に制定したもので、1872(明治5)年のこの日が、太陽暦が採用されたことに由来する。
問題は、「明治5年のこの日」が、新暦の「12月3日」ではありません??
興味深いのは、以前にも書きましたが、浅田次郎の「西を向く侍」という短篇です。
明治のはじめ、新暦への改暦について、その経緯を興味深く書いてありました。
主人公の勘十郎が天文方を待命中、詔書が出されました。
明治5年霜月二日が大晦日、翌日を明治6年1月1日とすると言うのです。
それまで、親しんできた暦が何の前触れもなく改められると言うことで、街中がてんやわんやの大騒ぎです。
改暦に踏み切れば、たった二日しかない師走分の給与も節約でき、つごう二ヶ月分の官員給与を支払わずにすみ申す…」
勘十郎は反対しました。しかし時遅し、「西洋に追いつけ…」文明開化の流れは止められませんでした。
どうやら、旧暦「師走三日」を、新暦「12月3日」と置き換えたように思われます。
この解釈でいいんでしょうか??
『日本史大事典』から一部を引用します。
太陰太陽暦では、1873年(明治6)に閏6月があったが(1年が13か月)、太陽暦では閏月がなく1か月の支出が減り、太陽暦を採用すれば窮乏の国家財政を救済できるという立場から、大隈重信大木喬任を中心に急遽、太陽暦新暦)への改暦が断行され、旧暦の明治5年(1872)12月3日を新暦明治6年1月1日とした。
やっぱり、旧暦の12月3日のこと。これで納得です。
テレビで、はやぶさ2」打ち上げ成功が報じられました。


6年後の帰還が楽しみです。
日中は、相変わらず季節風が吹き荒れました。
アメダス、最低気温は氷点下0.1度(4:30)で、昨夜の予報、氷点下6度までは下がりません。
風があったので、放射冷却から免れたものと思われます。
最高気温は、5.8度(13:30)、寒い一日でした。
神無月十二日」のお月さまが、早くから東の空に昇りました。(16:40)