「淡雪」は、すぐに消えました。

そろそろ終わりに、貯蔵リンゴ。

昨夜の降雪は、ほんのひと時だったようで、新聞を取りに出ると、通路に薄っすらと降っただけ…。
アメダス、最低気温は氷点下4.8度(3:20) 、早朝に吹いていた、強い北西の風も弱まり、晴れてくる予報です。
2月も残り10日、貯蔵リンゴもそろそろ終わり…。
庭先の積雪に、日が差し始め始めました。

読売新聞・日曜版 名言巡礼 中谷宇吉郎の言葉が載りました。一部を引用します。
「雪は天から送られた手紙である」
「雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る」が原型とされ、掛け軸や色紙に好んで書いたが、いつこの形になったのかは長く謎だった。結晶の形から上空の気象が分かるという意味と解釈されるが、本当にそれだけだろうか。(中略)
 宇吉郎の次女の中谷芙二子さんは後年、「そこには対話がある」と気づいた。宇吉郎は災害科学や、グリーンランドでの氷柱解析という地球科学へと研究を広げ、地球温暖化への懸念も60年前にいち早く随筆に記している。「上空の気象にとどまらず、この美しい雪の結晶は自然の仕組みそのものを伝えようとしている。それを懸命に読み解こうとして生まれた言葉なのだと思います」(以下略)
 雪といえば『北越雪譜』、雪の結晶を描いたものがありました。

江戸時代に、このような記録があったことにびっくりしました。
早朝3時アラームで目覚め、ラジオで、船村徹の追悼番組」を聴きました。
早く帰ってこ、別れの一本杉、王将、東京だよおっかさん、女の宿、矢切の渡し風雪ながれ旅、乱れ髪、男の友情 素晴らしい歌の数々。
どの歌も、望郷、哀愁、友情…説得力のある船村メロディーです。
18日付読売新聞・「編集手帳」から一部引用します。
 歌詞をもらい、まず将棋の齣を並べた。吹けば飛ぶよな…とある。息を吹きかけてみた。「ほんとに飛ぶのか、疑いましてね」。飛んだ。♦その実験をした船村徹さんは当時29歳、まだ新進の作曲家である。『王将』を作詞したのが詩壇の大御所・西条八十であろうと、いい加減な表現ならば承服しない。生涯を通して言葉を何よりも大切にし、詞に惚れて曲を書いた人らしい挿話である。(以下略)
 塩屋岬灯台のもとに建つ、「みだれがみ」の歌碑東日本大震災による被害が心配されていました。
 どれほど経ってからでしょうか、現地を訪れで無事を知った船村徹は、テレビ画面で涙ながらに報告しました。
 震災前の年、小生は研修旅行で歌碑前に立っていましたから、自分のことのように喜びました。
 震災後、再び研修旅行で塩屋岬を訪れ、船村徹のお人柄を偲びました。
日中は、風があったものの明るい日差しに春の気配を感じました。
アメダス。最高気温は4.9度(15:10)でした。
明日はまた天気が下り坂、夜には雪の予報も…。