神々しい、霜月の満月。

お正月を飾る「フェゴ菊」

新聞を取りに出て、休刊日かあ…、初うっかりをやらかしました。
アメダス、氷点下2.7度(7:17)、冷え込みは緩みました。
冬型気圧配置のなごりか、浅間連峰には「雪雲」がかかっています。
「誕生日の花」は、意外にも「オモト(万年青)」
我が家にも確かあったはずと、庭に出てみました。
株は大きくもならず、30年来ほとんど変わらない状態です。
当然、赤い実は着いてるはずはありません。
ロウバイ(臘梅・蝋梅)」の枯れ葉が舞い込んだりして…。

この「オモト(万年青)」は「獅子頭」系?、以前に、賢治を読む会のS女史からいただいた物です。

「ひろば・賢治ガーデン」に植えた物は、どうなってるかなー。
今度、行ったら忘れずに観ておこう。
『花の文化史』(松田修で、調べてみました。一部を引用します。
 オモトの名は、九州豊後の国の宇佐八幡に近い御許山(おもとやま)から産したものが最も上等なので、これからその名が起こったと記している古書もあるが、これは大本の意味で、粗大な株を表したものというのが定説である。
 このオモトは中国の一部にも分布していて、中国ではこれを万年青と呼んでいる。いうまでもなく常緑の青さを保っているという意味で、一名老母草という雅名があるのは、オモトの葉が大切そうにその実を抱いているさまに与えた名という。
 この植物が我が国独特の園芸として発達したのは江戸時代からで、元禄、亨保、文政、文化年間には、最流行期を現出し、たくさんの品種が生まれた。こういうオモト愛好のさきがけは家康にはじまるという。昔、徳川家康江戸城を造ってその居を三河から江戸に移した時、三河国の住人長島長兵衛なるものが祝いものとして、燕尾、東鑑、煙葉という三種のオモトを献じたところ、家康大いに喜び、これを栽培したいといい、これが江戸のオモト栽培のはじまりであると伝えている。(以下略)
今日も、昨郵便局・本局へ軽トラを走らせました。
年賀はがきが不足したので、買い足しに…。
特別のカウンターで全種を並べ、販売部数をメモしていました。
来年の発行部数の参考にするためと思われました。
帰途に、野良回り…。
お昼近くになり、浅間連峰の雪雲はすっかり消えていました。
外輪山を従えて、スケールの大きな、三重式火山・浅間山が、観てとれます。

昼食は、余ったお菓子でオカシな食事…。
午後は、高校サッカー上田西高校の勝利を観ました。
夕方のお楽しみは、「霜月十六夜の月・満月」の月の出です。
「あすの暦」で、月の出時刻、17:04(長野)、17:20に二階のベランダで月待ち…。
「平尾山」の山の端に目を凝らすこと20分間ほど…。
一点が明るく光り始めました。(17:41)

ずんずん昇り始めて、完全に出ました。(17:45)
真ん丸お月さまはほんのり輝いて、神々しい姿です。

アメダス、最高気温は4.2度(14:16)でした。