「佐久の季節便り」、「トガクシソウ(トガクシショウマ)」は、「破門草(はもんそう)」とも呼ばれ…。

アラームを聞かずに、5時に目覚めました。

どんより曇り空、相変わらず蒸し暑い朝です。

アメダス、最低気温は、20.6度(5:03)、「曇り、時々晴れ、午後には雨…」の予報です。

裏の立葵(たちあおい)」の花が、とうとう最上まで咲きのぼりまし

「梅雨明け」の声が聞かれても、不思議ではありません。

今日は、大学の研究生仲間との約束で、「戸隠地質化石博物館」に出かけます。

前回に引き続き、牧野富太郎博士と戸隠」企画展第2弾です。

企画展の目玉は、牧野博士が戸隠で採集した「ヒメアジサイ」の標本(写真)です。

目を凝らして観ていると、当時まで遡って、博士の情熱が感じられました。

今回も、中村千賀さんが、懇切丁寧に説明してくださいました。

 

今週、朝ドラ・「らんまん」で放映中の「トガクシソウ」問題についても展示がありました。

前回にいただいた資料冊子・「あをがき」と合わせ、鱗が落ちるように分かりました。

お許しをいただいたので、解説の一部を引用します。

〜ところで、牧野博士の最初の上京の目的の一つは、短い学校生活中で強く印象に残った美しい植物の掛図の編纂者、文部省の田中芳男に会うことでした。田中は明治八年に政府の命で、信州各地の山岳を巡る物産調査の調査隊を率いています。一行の中には本草学の大家、伊藤圭介の三男、謙(ゆずる)もいて、戸隠山系の高妻山に登る途中、白い実を結んだ未知の植物を発見しました。この株は東京に移され、謙の甥の伊藤篤太郎による研究の結果、新種として「トガクシソウ」の和名が与えられ、さらには世界に通じる「学名」の命名という、日本人初の快挙が成し遂げられました。徳太郎は牧野博士と同じく東大への出入りを許された若い研究者で、しかも彼が名付けたトガクシソウの学名「ランザニア ジャポニカ」は江戸時代の著名な本草学者、小野蘭山の名に由来するものです。篤太郎と同時期にトガクシソウを研究していた植物学教室の初代教授、矢田部良吉は面目を潰され、篤太郎を破門します。後年、牧野博士はこの出来事を振り返り。「破門草事件」として事の顛末を記しています。(以下略)

この顛末を、分かりやすく著した冊子がありました。

『トガクシソウ』 副題:「3つの名前をもつ花」が、事の顛末を暗示しています。

信州大学附属長野中学校の女子用襟章の写真も載っています。

かつて、在校生だった娘に、この冊子をプレゼントしました。

 

戸隠中社近くで、「天ざる蕎麦」をいただきました。

戸隠植物園に足を伸ばし、本物の「トガクシソウ」にも出会いました。

また、花や実の時期に訪れたいと思います。

 

岩村田ヒカリゴケ」に関する、三好学教授・博士の資料もいただきました。

じっくり読んで、地域の皆さんにも紹介するつもりです。

素晴らしい、研修の一日でした。

皆さん、ありがとうございました。

 

帰路、ドライブイン・「雷電くるみの里」に立ち寄り、野菜などのお土産を買いました。

アメダス、最高気温は31.5度(14:20)、予報の曇りは外れ、暑い一日でした。

夜が老けて、にわか雨が降りました。